「赤鬼」 第一話 | 月下の調べ♪のステージ

「赤鬼」 第一話

第一話「呼び出し」

佐藤正也に将棋部への入部を薦めたのは、彼が入学して間もない頃、4年前のゴールデンウイーク直前だった。

彼の割れた眼鏡と、左側に丸く赤く腫れができた顔を見つけたので、放課後職員室に来るように言ったが、あとから考えるとそれは口実だったかも知れない。暴力事件か、いじめにでも遭ったのでは、と心配したのは結局取り越し苦労であったが、運動はからきしダメだというのは私が想像したとおりだった。たしかに昼休みの時間、サッカーをしていてのちょっとした事故だったという他の生徒の証言は、複数が同じもので、かつ彼の説明と一致した。職員室の私の机にきた彼は、コトの経緯をシンプルに、かつ克明に打ち明けた。

「ゴールキーパーにさせられたんです。前園君のシュートを避けきれなくって。」

させられた、とは体の大きさからキーパーに向いているからではなくて、やや肥満体の彼は走り回ることに向いていないからなのだろう。サッカー部の前園のシュートは彼にとって凶器だったに違いない。本来の役割はおろか、顔を背けるのもそこそこに、その弾丸をまともに顔面に食った、ということのようだ。

彼の勉強について言うと、数学と理科の成績だけは良いが、センスがある、という程でもなかった。少なくとも私が教えている数学は、確かにそうだ。中学の頃から好きな科目だという。部活動の経験はないとも話してくれた。授業の質問に来たときもそうだったが、親身に接してあげると照れたような微笑を浮かべ、まんざらでもなさそうだった。

友達も少ないようだ。以前、その日最後の授業が終わるとすぐ、独りで帰宅するのを何度か見かけていたので、家で何をしているのかとついでに質問したら、

「その、本を読んだり、パソコンいじったり・・・」

と詳細を伏せ、歯切れも悪い。彼はいわゆる「おたく」の部類なのだと直感したが、担任でもない私がそれ以上は、怖くて突っ込めなかった。ただ、彼を呼び出したという正義感の成果を、教師としてのささやかな達成感を、私は残したかったのかも知れない。ともあれここは、本題を切り出す絶好のタイミングだった。

「佐藤君、将棋は知っているかね?」

「はい。駒の動かし方だけなら。」

この返答の深い意味は、まだ解からなかった。自称初心者ということだけ。

「将棋をやってみないかい?私が見てる将棋部には初心者からはじめた子も多いから心配要らないから。」

健全な趣味を提供してあげよう、という真の狙いは奥底に秘めたままにしておいた。考えさせてください、という彼の返答も読み通りだ。現在の趣味の時間が奪われる、と後ろ向きに捉えられるといけない。眼鏡が使えない今日は諦めるとしても、近いうちに、部活動を紹介する名目で将棋をやらせてみて、強引にでも入部させるつもりだった。