「赤鬼」 第二話 | 月下の調べ♪のステージ

「赤鬼」 第二話

第二話「症状」

「近いうち」が明確に「翌日」になったのは予定外だった。前日のこともありサッカーに誘われなかったこの日の昼休みに、生物部の顧問でもある理科の北野先生から、佐藤正也は入部を強く勧誘されていた。生物部、強敵だ。部員こそ少ないが、2年生に2人の女子がいる。私がたまたま理科室の前を通りかかったときに目撃したのは、彼女らを含めて3人での勧誘現場だった。私が顧問を務めている将棋部には女子がいない。瞬間的に、形勢の不利を感じた。

30歳を過ぎて独身の私が言うのもなんだが、彼はいかにもモテないタイプだった。体型だけではない。顔もイマイチだし、性格も明るいほうではないし、なにより話下手だ。女性への憧れから、私の「先着」を不意にしてくれるのではないかという心配は結局取り越し苦労であったが、彼が女性を苦手としているだろうという私の想像は、目撃した彼の姿から明らかだった。そして、その苦手の程度はむしろ私の想像を遥かに超えていた。

「夏休みは一緒にキャンプにいきましょうよ。」

生物部の女子生徒の一人が、狼狽する彼に、優しく明るく、しかし強い押しの文句を発した。生物部には長期の休みに野外キャンプという目玉イベントがあり、女子生徒と一緒ならさらに魅力的なものでしょうというのだ。しかしそれは逆効果だった。それまでハッキリと判らなかったが、やはり確かに赤らんでいた顔が、その瞬間さらにひどく真っ赤になった。女子生徒のほうをもはや正視できないでいる彼の横顔には昨日の腫れがうっすら残っていたが、それが消えてなくなるほど、顔全体が濃く赤くなったのが遠目にも判った。

「あの、ご、ごめんなさい。」

彼が逃げ場を求めているところに、渡りに船とばかりに廊下の私の姿が映ったらしい。

「ぼ、僕、しょ、将棋部に入るので。」

ほんとは将棋部に入りたかったのでも、生物部に入りたくなかったのでも、女性がけして嫌いだったわけでもない。ただ、女性とのコミュニケーションが苦手で、緊張のあまり、その場から逃げ出したい一心だったということが、言葉の真意として、ずいぶん後になって解かった。ただ逃げたしたい、それだけが伝わってきた。

「あはは。北野センセ、そういうことです。一手違いでしたな。」

将棋部への勧誘が一日早かったのですよ、と彼の弁護をして、彼にとっての軟禁状態から、私は救出に成功した。そして、今日の放課後から早速将棋部員だなと、裏切ることが不可能な恩を着せて彼の肩をポンと叩いた。

 

彼の場合は、いわゆる赤面症だった。このときが初めてではなかったし、その後も頻繁に見受けられた。授業中に席の位置から発表するときもすでにそうだったし、教壇に登ってクラスのみんなに向かって話すときは可哀相なくらいに強く赤くなった。半年後に校内弁論大会のクラス内の予選を観させてもらったときは、制限時間の5分間が、極度の緊張に震えた声と相まって、それはもう悼たまれなかった。小中学校の頃は知る由もないが、彼の誠実さが今のクラスメート達には伝わっていたのか、いじめの対象にされなかったのは幸いだった。そして、私と担任は、リラックスするようにとアドバイスはしても、そのどうにもできない、顔に出る症状のことはけして口にすることがなかった。