「焼かれたCD」 第七話 | 月下の調べ♪のステージ

「焼かれたCD」 第七話

第七話「夏の憂鬱」


ホ長調の、楽しい雰囲気の「春」に続くのは、打って変わってト短調の、つらい雰囲気の「夏」。


第一楽章「けだるい暑さ」

太陽が焼けつくように照るこの厳しい季節に、

人と家畜は活力を失い、木や草でさえ暑がっている。

すっかり失われた元気を、巧みな合奏が描き出す。人間も動物も、木々や草々、どこに始点を移しても見渡す限りしおれてしまっているのだと描写する。コンサートマスターは前に出ず、クラヴィコードがはっきりと聞こえて、もうろうとした雰囲気だけが伝わる。


かっこうが鳴き、山鳩とびわが歌い

コンサートマスターが、かっこうの鳴き声をトレモロに交えるという超絶技巧で奏でる。鳴き声の部分は低音だ。続けて山鳩の歌を悲しいメロディーで、びわの歌を高音のけたたましいトリルで模倣する。ヴァイオリンはこんなにも美しい音色なのに、伝わってくるイメージはうっとおしさそのものだ。


そよ風が吹き、北風が不意に襲いかかる

そよ風をさも優しく心地よさそうに3部のヴァイオリンの和音が描き安心させるが、突然北風の激しく重たいトゥッティがそれを押し流す。


羊飼いの嘆きと恐れ

北風が止んで再び訪れたけだるさに、羊飼いの嘆きを切々とコンサートマスターが歌い上げる。そしてあやしくなった天気と渦巻く風とに抱かずにいられない恐怖の予感が合奏される。


第二楽章

稲妻、雷鳴。そして群れなす無数の蝿。

そのために羊飼いの疲れた体は休まらない。

疲れきった羊飼いの嘆きをどこかやるせなくコンサートマスターが歌う。合間に轟く雷の低音トレモロのトゥッティ。


第三楽章「夏の激しい嵐」

羊飼いの恐れは正しかった。

嵐が来た。恐怖の正体はこれだったのだ。前奏のわずかな予感のあと、実体が押し寄せる。


空は雷鳴を轟かせ、稲妻を光らせ、

合奏で地に響くように描かれる雷鳴。華麗なソロできらめくように描かれる稲妻。


あられさえ降らせて、熟した穀物の穂を痛めつける。

ばらばらと降り出すあられ、あろうことか手をかけて育ててきた穀物までもが被害を受けているとヴァイオリンソロの悲痛な叫び。そしてそこから生まれる絶望感を含んだ沈み込むような合奏がこの曲を締めくくる。


回避する手段のない長くうっとおしい暑さと、イライラする鳥や蝿の存在。たまに訪れる恐怖の実体。ヴィヴァルディが描いたのは、人間の力ではどうにもできないことにこの夏の自然現象に対する、無力感や絶望感をも含んだ、そんな人間の憂鬱なのだ。



やっちゃった、こんなことするんじゃなかったよ・・・。そう思ったときはもう、何もかも遅かったんだ。


とある日曜日、LPレコードを聴いた後になぜか無性に遊びたくなった小学一年生の僕は、父の伸縮式の白杖を面白がって持ち出していた。父は庭いじりをしている最中で、杖は外出するときは必ず持っていくものだから、盲目の父を導くこの不思議な棒に触れてみる機会なんてこんなときぐらいしかない。父の部屋に戻り、しばしその金属性の杖を眺めた後、父が扱うように突いてみたり、伸縮させたりしてみた。そしてそれに飽きると、バットみたいに思い切り振ってみた。すると、なんと可動伸縮式になっていた杖の先端部分が予想外に脆くも外れ、しかも飛んでいった先の、出したまま壁に裸で立てかけていた1枚のLPレコードを直撃した。黒い円盤はさほど大きくない音を立てて、飛んでいった矢が当たった個所から折れるように二つに割れちゃったんだ。


白杖とレコード、まずいことが2つも同時に起こった。庭に居る父はまだ気がついていない。僕は割れたレコード盤をケースにしまい、壊れた白杖の先端部分を差し込んで玄関の傘立てに戻したけど、夕方になっても、一緒に過ごす食事時になっても、うまく父に切り出せない。翌朝、父が出勤するときになって白杖のことだけが発覚した。こんなことをしでかすのは一人しかいないと、犯人がすぐにわかったようだった。


 父は僕を大声で呼び出すと、予想していたよりもさらにひどく叱った。

「どうして早く言わないんだ。どうして隠したりしたんだ。隆志、わけを言ってみろ。」

大きく広げられた父の右手がちょうど僕の顔の高さの位置に構えられ、いつ振り切られてもおかしくないエネルギーを溜め込んで少し震えているじゃないか。

 どうして、どうして。そんなこと言われたって。自分にだってよくわからないよ。

説明の言葉が出ない僕は、それまで味わったことのない恐怖から、ずっと抜け出せないまま立ちすくむしかなかったんだ。怯えるあまりできなかったけど、泣き出すことができたら、それで許してくれたのなら、どんなに救われただろう。


 結局僕は、時間が許してくれるまでずっとその恐怖を刻み込まれ続け、レコードを割ってしまったことも結局申し出られなかった。僕はその日の夕方、割れたLPレコードをケースごと僕の部屋へ引き上げ、引出しの奥に封印した。あの恐怖から逃げるには、そうするしかないと思ったからだ。


 それからというもの、僕は父の顔色を窺いながら、たまに機嫌が悪くなることに怯える日々を過ごすようになった。同時に父の前では、僕自身が感じたこと、考えていること、やってみたいこと、父にやめて欲しいこと、全てうまく言い出せなくなってしまった。いや、それは学校の生活でも同じで、言葉の力を失った僕は、友達が減っていき、たびたびいじめられるようにもなった(もちろんこのことも両親に言い出せなかった)。唯一の親友は柴犬のタロが3年ほど務めてくれたが、やや気性が荒く、すっかり大人になって手に負えなくなったタロは、ある日夜に首輪の紐を抜き出すと遠くの交通量の多い道路にまで駆けていってクルマの前に飛び出してしまい、あっけなくその生涯を閉じた。


 それからの僕にとって、ピアノが唯一の救いだった。ずっとそう思っていた。練習を重ねさえすれば、たとえ難しい曲でもいずれ弾けるようになる。そういう実感を重ねながら、日々のつまらない練習曲を次々とこなした。右手でメロディーをまるでレコード曲のように豊かに歌わせるのが得意なのだとも気がついた。いつかはあのショパンの英雄ポロネーズを、きっと華麗に弾けるようになる。聴く人にその曲のイメージを、きっと豊かに伝えられるようになる。その希望だけが、日々の退屈な作業を支え続けてくれた。僕がピアノを弾く毎日は、幸い音楽好きの父をなだめさせることができる手段にもなった。「四季」のCDの、あの聴き比べは、そんな日々の中での出来事だったし、割れたLPレコードのことは、結局父には話せず、永遠に封印されることになった。


 しかし現実は甘くなかった。中学生2年生も後半になった僕は、音楽への道を模索すべく受験の勉強をはじめたんだけど、同じ道を志す少年少女、つまり競争相手たちと交流するようになって、その才能に圧倒された。彼らは音を聴くだけでその曲を弾いてみせ、楽譜を見るだけでその音を聴いてみせた。バッハの複数に重なる旋律を同時平行で歌ってもみせ、リストやショパンの技術的に難しい曲も豊かに表現しながら弾きこなしてもいった。


 英才教育で養われた音感が違う。そこから産み出された才能も、上達するスピードも違う。音楽家の卵たちにとって、彼らの目と耳はピアノやオーケストラの楽器そのものだったし、彼らの指は自身の歌声そのものだった。──僕のピアノは、僕がずっと取り組んできた音楽というものは、楽譜どおりの鍵盤タイピングと、レコードの真似事でしかない──僕は高校受験の選択を迫られる頃には、ピアニストになるという夢を、音大付属高校への進学を、諦めざるを得なかった。父がその事実に落胆し、そんな僕自身に失望したのがわかった。


父はちょうどその頃、母と毎晩のように言い争いをするようになった。盲学校の教員を辞めたいのだと言う。安定した収入を求める母と、独立して鍼の治療院を開業したいと主張する父。話し合いはしばらく平行線をたどった。

──


他の乗客には誰にも聴こえない、僕だけの、ヘッドホンから流れる「夏」、激しい嵐の第三楽章が終わりかける頃、列車は県境をいつの間にか過ぎていて、緩やかな減速のあと福島駅に到着した。少し長く停車しているのは、先着している「やまびこ」とドッキングするためだ。これからこの「つばさ」は東北新幹線の本線上を200km/hをゆうに超える速度で防音壁に覆われたコースを走行することになる。しばらく続いた田畑や温泉街の風景とも、もうお別れだ。


さようなら、山形。2年間を過ごした場所。