「天童旅行記」 最終話 | 月下の調べ♪のステージ

「天童旅行記」 最終話

最終話「帰途」


「ヒロシゲ、浮世絵の?」「歌川ですか。安藤じゃなくって?」

市街地に戻り、我々が向かったのは「広重美術館」 。下調べをしたらしい府中さん曰く「浮世絵で有名な、あの広重ですよ。東海道五十三次とか。」というが、なぜよく知られた安藤姓が使われていないのかは謎だ。時刻は10:00過ぎ、午後は帰途につくので、最後の見学場所となるだろう。


到着すると白い三角屋根の2階建ての建物は、一階部分がシックな黒い煉瓦造りとなっていた。入館料は600円。内装は真新しく、奥の2階分の吹抜けには側面一杯のステンドグラス、版画をモチーフにしていると思われる赤や青の模様の隙間から白い光がロビーに取り込まれていて、静かにくつろげる雰囲気だ。ワイドビジョンで浮世絵製法の紹介ビデオが流れている。


美術品の展示がある2階に上がる。最初の展示室に入ると年表があって、初代歌川広重、二代、三代、・・・と表記してある。どうも安藤広重とは初代歌川広重のことのようで、ここには後継者の二代目以降の作品も展示してあるようだ。


初代広重の初期の作品から晩年の作品まで、その変遷が理解しやすいように展示してある。十代の頃から見せていた才能、二十代に残した人物画の数々。人物画は活き活きとして迫力があるが、しかしこれは当時の流行の影響なのか。輪郭に重点を置かれたものが中心で、当時の雑誌の錦絵や挿絵としての作品が多い。やがて版画技術の発展もあってか、三十代の作品から色鮮やかなものが多くなると、それまで構図いっぱいに表現されていた人物画の割合が減っていき、四十台で風景画が中心となっていく。遠近を対照的に表現した構図がダイナミックで、これこそが自分の作風だと自覚したのだろうか。東海道五十三次も四十代半ばの作品で、実に多くの名作が産まれているようだ。版木の展示もあったが、実物大で観てみると恐ろしく緻密な作業であることがわかる。どんなにか広重が精力的に制作に取り組んでいたことだろう。晩年も富士三十六景など多作、この頃に確立した空の表現手法が上端と下端だけを赤や青で表して中間部分の白面に溶け込んでいく様式で、美術館のステンドグラスはこれだったのかと理解させられる。


二代目、三代目の歌川広重はまたそれぞれの作風を持っている。二代目は色のりが全体的に行き渡っていて鮮やかな印象、版画技術の向上もあってか色彩が豊かで、輪郭も鋭い感じがする。強弱の差をあまりつけないのが初代との違いだろうか、画面いっぱいに描写の力が注ぎこまれているようだ。三代目になると明治の洋風建築の作品が多くなる。赤と蒼の空は二代目、三代目と「広重の版画」の象徴として受け継がれていったようだ。


その他、数は少ないが五代目までの作品、歴代広重の肉筆画、スペースを移しての地元作家の刀剣や陶磁器の展示もあった。たっぷり1時間は過ごしただろうか。展示室の外に集まると、ふーっとみんなからため息が漏れる。ちょっとした資料スペースもあって、思い思いに過ごせるのもこの美術館の魅力だ。


一階に戻り、売店で記念品を購入してから美術館をあとにする。道をはさんで向かいに「栄春堂」という民芸品店があるので、そこを覗くことに。どうもここは二日目に訪れた将棋の館の本店らしい。実演コーナーが稼働中で、客が楽しめる大盤も置いてある。大盤をみつけると、はぶはぶさんとパブルさんが早速早指し将棋、んもうしかたないなあ。お土産の買い残しを皆さんが済ませる。をいらは他店より値段の下がっている一字彫り(テレビ将棋でよく使われているタイプですね)の駒を発見、昨日下ろした現金で購入した。


11:30頃となって、隣の「水車そば」 店で最後の昼食を済ませることに。そばは天童の名物で、ここは昨日から目をつけていたところだ。準備中になっていたが、風牙さんが率先して入店すると、いらっしゃいませ~。表示が間違っていたらしい。我々が入店すると昼メシ時ということもあって10分もしないうちに店内が客でいっぱいになる。相当な人気店らしい。全員で温かい鴨南そばをすする。いわゆる「こし」の魅力とは違う、ぶつぶつと切れる荒い感じの食感が山形のそば独特のもので、純正の素材のよさを手打ちの麺が伝え、それをあっさりした汁が支える。おなかが、まさに食欲とともに満たされる。


店を出て、JR天童駅前へ。新幹線で帰る風来坊さんと、長野へクルマで向かうパブルさんと、2人ここでお別れだ。またね~、クルマの窓から手をふりふり、夜にネット将棋でお会いしましょう。


残りの7人はセルシオとキューブキュービックに分乗し、高速に乗った。5時間半ほどの旅程は、また途中入れ替わりながらののんびりタイム。列車事故のニュースが少し入るが電波の関係で詳細がよくわからず、みんな踏切事故ぐらいに思っていた。


最後のサービスエリアで、風牙さんがご自分で経営されているスナックのお話を披露する。大物へ成長するお客さんに落ちぶれるお客さんと対照的な人間ドラマ、店内トラブルのお話、店の女の子のこと。「今度は風牙さんのお店でオフ会だ~」はしゃぎながらも皆さん魅力的なお話に引き込まれるが、なぜこの方がセルシオに乗っていられるか、それがいろんな意味で解かった場面でもあった。


二手に分かれたクルマは、東京駅と池袋駅へそれぞれ向かった。東京駅への江戸川号には、駒ABCさんと、京都まで戻るノリさん。池袋駅への風牙号には府中さんとはぶはぶさんと、をいら。特に大きな渋滞に巻き込まれることもなく、18:00頃には到着した。池袋駅前はスーツ姿の往来が激しくなっていて、そこは一時離れていた日常そのものの姿だった。「それでは、また」荷物をあらためて自分で持つと、両手が塞がってしまうことを思い知らされる。頭と言葉で別れの挨拶を交わし、電車での帰途についた。


ゴールデンウィークが目前だと言うのに、こんな充実感を味わってもいいのだろうか。そんな少しばかりの罪悪感の混じった贅沢な気分は、しかしきっとをいらだけのものではないだろう。


                      ~終~