「焼かれたCD」 第八話 | 月下の調べ♪のステージ

「焼かれたCD」 第八話

第八話「秋の達成感」

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イライラと恐怖の「夏」のあとにはじまるのは、再び楽しげなヘ長調の「秋」。

 

第一楽章「村人たちの踊りと歌」

村人たちは踊りと歌で、豊かな収穫を喜び、祝う。

収穫を喜ぶ村人たちが集まってのお祭りの席。強、弱、強、弱と繰り返されるのはこの楽章のテーマで、合奏で表現されているのは村人たちのワイワイとした歌と踊りだ。続いて独奏ヴァイオリンとチェロだけで表現されるのはのど自慢たちの独唱だろうか、独奏ヴァイオリンは美しく豊かに歌う女性の声で、チェロは野太く声量豊かに響く男性の声を連想させる。年に一度の、楽しく、また晴れの舞台をいうわけだ。

 

バッカスの酒のおかげで座は沸きに沸き、

突然、ヴァイオリンソロが酔っ払ってよろめく村人を描き出す。シャックリや得意になっている様子なんかも表現されているのだろうか、四季のなかでも特にユーモラスな一面だ。しかし曲調がト短調に変調したりして、泣き上戸がいるのかとも思わされる。一年の仕事や、辛かった出来事を振り返っているのだろうか。

 

ついにはみんな眠りこけてしまう。

曲調が一変し、歌と踊りに疲れきった村人たちが眠りに落ちた様子を描き出す。場が静かになり、至るところまでみんなが眠りに落ちている様子がわかる。最後は快活なテーマが戻ってきて、この楽章を締めくくる。

 

第二楽章「眠っている酔っ払い」

一同が踊りをやめたあとは、穏やかな空気が心地よい。そしてこの季節は甘い眠りが人々をすばらしい想いに誘ってくれる。

ただただ静かな合奏で、ひたすら眠りに落ちた人々が描写されている。穏やかに眠っている様子が、その安らかな空気とその人の夢を物語っている。全体をリードしているクラヴィコードのソロという見方もできるだろう。

 

第三楽章「狩」

狩人たちは、角笛と鉄砲を手に、犬たちを連れて狩に出かける。

勇ましく出かける狩人たちのテーマが合奏で表現される。

 

獣は逃げ、彼らは追いかける。

やがて2つのヴァイオリンの重和音で角笛が模写され、次に逃げる獣と勇ましい狩人が交互に表現される。

 

獣は犬と鉄砲の音に追い詰められて、傷つき疲れ果て、やがて死ぬ。

鉄砲の音が跳ねるようなソロで描写され、続く合奏のトレモロが大勢の犬たちが駆け寄る様子を物語る。物悲しげなメロディーが獣の最後を歌い上げる。狩人のテーマが勇ましく強、弱と繰り返されて、成功した狩に満足げに帰っていく様子でこの曲を締めくくる。

 

一年の仕事が見事に実った収穫の時期に歓喜する人々、仕事の成功に満足する狩人。ヴィヴァルディが描いた秋は、けして約束されたものではない仕事が無事成果に結びつき、それに満足したり、振り返ってみたりする。そんな人間たちの仕事の達成感なのだ。

 

 

父は頑なに独立・開業を主張した。詳しい事情は僕には分からないが、もはや盲学校の教員という仕事は自分の役割ではないと、父はそう考えている様子だったのが、夜毎聞こえてくる父と母の口論から徐々にわかってきた。

 

父の強い決心に押し切られる形で、母は父の公務員からの退職にしぶしぶ同意したんだ。わずかばかりの退職金は全て開業資金にまわされ、自宅近くのビルのテナントの一角に父の鍼治療院が設けられることが決まった。数ヶ月の準備期間を経て、昭和61年に開院にこぎつけることができたんだ。僕が15歳で中学三年生、高校受験を控えていた頃のことさ。

 

 治療院の名前は「研鍼堂(けんしんどう)」。教員の頃から西洋、東洋両方の医学的に研究を進めていただけあって、父の自信が表れているような名前だろ?前評判もあって、治療院は、開業初月から大盛況だった。最初は父と母の二人で患者さんをこなしていたんだけど、毎日、定刻である朝の9時から夕方の7時まで(それを過ぎることもよくあった)予約でいっぱいで、父はフルタイムで働いた。店の経営に余裕ができると、スピーカーシステムを治療ベッドの個室毎に設置してモーツアルトを中心にクラシック音楽を流すといったことも始めたのだけれど、なんと患者さんのリラックス効果という意味で予想を超えてその役割を果たしたようだったんだ。それがまた地元新聞の取材に採り上げられたりもして、治療院の人気に拍車がかかった。

 

 医学的なことはよくわからないけれど、父は鍼というある意味本格的な医術とは見なされない方法で、時には難病や怪我も治療していたらしいんだ。自律神経失調症や、白内障、交通事故の怪我のリハビリ補助や、不妊症治療に至るまで、どれも巷の病院ではなかなか回復が見込めないものについて、分野を問わず成果を上げているようだった。果ては重度の急性リウマチによる心筋炎の治療に成功して、鍼で人命を救った事例まであったくらいだ。さすがにその日は「今日は人の命を救ったぞ」と、僕に対してだけこっそり自慢してくれたんだったなぁ。

 

 僕のほうはというと、とても進学校とは呼べない普通高校なんだけど、なんとか高校受験は乗り越えることができたんだ。そこで遅れていた勉強を取り戻しながら新たな進路を見出すことになったんだけど、それまで打ち込んできた音楽に代わることって一体何だろう。なぜか理系の科目は得意だったのだけれど、人付き合いが苦手な僕には、父は跡を継がせることは考えていないみたいだし。そんな目的意識のない、さほど成績も上がらない日々がしばらく続いたんだ。

 

 音響工学。僕がそういう分野があるのを知ったのは高2の秋。詳しく調べてみると、音文化学(音声言語文化や音楽文化についての学問)、音響環境学(人間にとって最適な音環境を研究する学問)、音響情報学(聴覚情報の生理的解析や音響情報の最適化を研究する学問)といったものがあるっていうことがわかったんだ。これなら、僕でも将来音楽の仕事に関わっていくことができる!

 

 それからというもの、僕は猛烈に勉強に取り組むようになった。朝は目覚めたらすぐ学校に行くまで、夜は眠さにこらえることができる限界まで、とにかく机にしがみついていられた。学校では授業でわからないことをなりふり構わず質問するようになっていたんだ。特に数学や理科って科目はもともと好きだったからかも知れないけど、急激に成績が伸びて、高3になる頃には学校のトップクラスにまでなれた。さらに1年後の大学受験では、福岡の芸工大工学部の音響設計学科に受かることができた。

 

 あの女が現れたのは、僕が高2の冬。僕と父がそんな充実した日々を送っていた頃だった。