「大いなる潮流」 第一話 | 月下の調べ♪のステージ

「大いなる潮流」 第一話

第一話「待ち合わせた牧場」

 

~1997年11月 イングランド ドルセット郡ギリンガム ナショナルスタッド~

 

スタッド、とは主にサラブレッドの種牡馬を繋養する牧場施設である。ナショナルスタッドは施設自体はその名の通り国有だが、イングランドの民間オーナーにも解放されている。

 

今年も欧州の競馬界は様々なドラマを生み出し終えた後で、もうシーズンオフを迎えていた。幸運にも大レースで結果を残し、名馬の称号を手に入れることができた牡馬には、後世にその血を受け継いでいく数少ない権利が与えられることになる。シーズンオフとともに引退した名馬の何頭かがここに連れて来られるのは毎年のことで、そのなかでも早いものは既に入厩を果たしていた。

 

牧場沿いの並木道、反時計回りに数えて13番目のポプラの下。ピーター・ボールディングは、自分が指定した時間よりやや早くからそこにいて、一頭の馬が牧草を食べているのをしばらく微笑ましく見ていたが、時折走って見せる姿にまだ勢いがありすぎて、「まだ引退後の調教が行き届いていないじゃないか」と携帯電話の相手に指示を出しながら少し憤慨した様子にもなったりした。ボールディング氏はダービーと凱旋門賞を同一年制覇したこの三歳馬「カーラ」の買収に成功していて、この年の大きな収穫のひとつだったと言えたが、最大の仕事がまだ残っていた。

「用件を言え」

 

不意に背後から投げかけられた低い声量のある声にはっと振り向くと、写真で見た人物らしき男が立っていた。短髪に、太い眉、切れるように鋭い目つき。白いスーツ姿に左手はそのポケットへ。右手には既に細長い煙がゆらゆらと立ち上っている葉巻を携えていた。