「大いなる潮流」 第二話 | 月下の調べ♪のステージ

「大いなる潮流」 第二話

第二話「依頼の内容」


「おお、よく来てくださいました」

そう言って、一歩歩みよったとしたところでボールディングは立ち止まった。男の右手は葉巻を持ったままピクリともしない。ボールディングが返した言葉と、社交用よりも一回り大きく緩んだ笑顔に対しても、男の表情と視線も同じだった。彼は握手をしないのだったな、と事前に読み込んでおいた彼の資料の内容を思い出し、いつものビジネスの相手とは違うのだと自分に言い聞かせた。男は混血だと資料にあったが、黒髪と肌の色は、純正の東洋人に写った。日本人だろうか。スーツの内側から盛り上がりようが、相当鍛え上げた体を包んでいるであろうコトを容易にイメージさせる。これが世界一の狙撃手か。


「サラマンドルをレース中に撃って欲しいのです。」

ああ、と続けて呟いて、少し後悔した。男自身に対する妄想の最中に言葉を発してしまったため、荒唐無稽な切り出し方となったからだ。

「い、いや、馬自身は傷つけないように、レースを妨害して欲しいのです」

「詳細を言え。それから依頼の理由も。」

男がボールディングが犯してしまった再度の過ちを修正するかのように、すぐさま言葉をかぶせた。

「申し訳ない、ミスター」


ボールディングはいつもの論理的な自分を取り戻し、ネクタイを締めなおした。男は一介のテロリストなのだ。依頼の内容を最初からあらためて、順序だてた説明し始めた

「サラマンドル、とは競走馬の名前です。今年のチャンピオンステークス(英、国際GⅠ、芝2000m)の勝ち馬で、今年引退することが決まっています。その前走の凱旋門賞(仏、国際GⅠ、芝2400m)では去年に続いて連続2着でした。そう、この歴史的名馬カーラに続いての2着」

ボールディングは後ろの、柵の向こうのフィールドで首を下ろして草を食べている馬「カーラ」を、男の視界に譲り渡すように半歩引いて半身になった。いつものビジネスのときのプレゼンの癖と、誇示が混じったものであることに気がついて、また言動のあとから少し動揺して、恥じた。

「いえ、このカーラは関係ないのです。サラマンドル。そう、このカーラに負けたとは言え、血統的にはむしろ優秀であるサラマンドルのほうを、私は手に入れるはずだったのです。」

「買約済ではなかったのか?」

えっ、とボールディングは驚きを隠せなかった。一介のテロリストであるはずの男が発した一言は、サラマンドルという馬名だけでなく、その引退後の高額取引に関する裏事情も事前に調査済であることを物語っていた。確かに、依頼者に対して事前に綿密な調査を実施するというのも、男の資料に書いてあった事項だったと思い出した。

「ええ、そのはずでしたが」


話が早い。相手は一流のプロなのだ。サラマンドルの今度のレース、そのラストランを妨害し、勝たせてはならない理由に入っていくことにした。