「焼かれたCD」 第九話 | 月下の調べ♪のステージ

「焼かれたCD」 第九話

第九話「冬の切なさ 前編」

 

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躍動感に満ちたヘ長調の「秋」の後は、どこか思いつめたように胸に響いてくるヘ短調の「冬」。

第一楽章

冷たい雪の中、凍えてふるえながら

吹きすさぶ恐ろしい風に向かって人が行く

深々と降り積っていく雪と凍えてふるえる人間を表した合奏ではじまるこの曲の序奏は、突然吹きすさぶ風を模した激しいヴァイオリンソロに度々支配される。

 

休みなしに足踏みしているが

あまりの寒さに歯の根も合わない

足踏みと人間のガタガタとした震えを、合奏があまりにもダイナミックに、重く、そして美しい和音で描く。この詩の割りに誇大な表現が、一人の人間がどうしても避けることのできない寒さに堪えては堪えきれないでいる様子の切実さを描いていることを物語っている。

 

第二楽章

火の傍らで静かに、満ち足りた日々を送る。

その間、窓の外では雨が万物を潤す。

美しいことで有名なこの第二楽章の旋律を受け持つのはやはりコンサートマスターのヴァイオリン。それを暖炉にくべられた薪のパチパチとした音と雨のしとしとと降る様子を他のヴァイオリンのピツィカートが描き出す。切実な寒さを表現した第一と第三の間の、終始穏やかな楽章。

 

 

あの女、寺井恵理子が父の治療院「研鍼堂」に従業員として入ってきたのは僕が高3の頃で、当時彼女は27歳。父が教員時代の教え子でもあって、つまりは彼女も視力障害者の鍼師なわけさ。他の治療院でずっと従業員として働いていたのだけど、どういうわけか父のところに加勢に来ることになったんだ。弱視でいて、華奢で小顔。切れ長の目が特徴的な顔立ちは、障害者ということを考慮しなくても美人の部類だと言っていいくらいだったけど、盲目の父はそんなことよりむしろ彼女の若々しい話題が新鮮に、少し生意気な話しっぷりが垢抜けて聞こえていたみたいだった。父は彼女と会話をするのが密かに楽しそうで、僕はその時にしか見せない、右の口元がぴぴっと引きつりあがる父の笑顔の特徴を見抜いていたのだけれど、それはあの女も、そして母もそうだったのかも知れない。

 

治療院での母の負担は減り、早めに帰宅して家事に専念できる時間が増えたわけだけど、後から思うとそれもあの女の策略だったのかもしれない。いつ始まったか特定できないが、父とあの女の逢瀬は、最初は仕事後の短い時間、それから休日の密会と頻度が増し、徐々に隠し通すことが困難になっていった。母が遅く帰宅した父をヒステリックに問い詰めても、証拠がないだろうとタカをくくっていた父は、ああ別の用事だった、実は友人のところで呑んでいたのだととぼけ続ける、そんな夜が度々繰り返されていった。

 

 あの女は僕とはむしろ仲がよく、最初のうちはよく話し相手になってくれた。ある日「美味しい店に連れて行ってあげる」というので、滅多に無い女性とのデートの機会とばかりについていくと、あの女が出してくる話は終始、父とは会ったりはしていないし、母が随分疑っているようだが誤解だから僕からも解いてあげて欲しい、という類ものばかりだった。しかしその連れて行かれた店というのが、味にうるさい父が密かに憩意にしていた佐賀牛のステーキハウスで、僕が知る限りクラシック音楽のコンサートの帰りにしか寄らない所だった。有名店でもない、裏路地にひっそりとある、食通の主人だけでやっている店。母にも内緒にしていたくらいで、父だけの密かな愉しみだったはずのところ。ここへ父と行けるのはかつてコンサートへ引率してあげられた僕だけの特権だった。あの女の、僕に対するこのアプローチは、僕にあの女と父との関係を確信させ、あの女の言葉に悪意を感じさせ、つまり逆効果となった。あの女との付き合いは、以後僕が拒否したことで、それっきりになった。

 

やがて僕は福岡の芸工大への入学が決まり、一人暮らしで実家を離れることになったんだけど、父とあの女の関係は増長する一方で、父は帰宅しない日を度々作るようになっていた。母は何度も福岡の僕の部屋に、電話で寂しさとやりきれなさの救いを求めてきた。

「隆志、あんた何か知っとるとやなかね」

「ゆうべ寝られんやったばってん、結局昨日は帰って来んかったとよ」

「あの女は治療院を乗っ取ろうとしよっとやなかね。」

切ない思いは聞かされる側も同じだったけれど、言葉がうまく出ない僕は受話器を取る以外にはなにもしてあげられない。母の疑念も確信へ、そして更なる疑念へと徐々にエスカレートしていった。

「もう行かんでって、お願いって頭下げて頼んだとばってん・・・もう家では何も話してくれんようになったとよ・・・」

一番切羽詰ったときには僕も実家に帰ってあげたのだけれど、頭を下げて頼むときの仕草を座った僕の足元で再現してみせる母の言葉は途中から涙声のものとなって、最後にとどめていたものがなくなったようにわんわん泣いて、僕自身のやりきれなさをも責めたてられた格好になった。

 

結局数ヶ月経つとあの女の妊娠が発覚して、同時に父とあの女の関係も決定的となった。

「あの治療院も、あたしとお父さん二人で築いていったもんなんよぉ!」

ひとしきり残っていた不満を発散し離婚を決意した後の母は、激情が収まったのかさばさばしていて、その後の調停は粛々と進められた。

 

 父にしてみれば自分の恋を実らせた。母はもはや愛情の薄れた父から慰謝料と実家の一軒家と自由を手に入れた。僕はぎくしゃくした父と母の間での息苦しい日々が終り、父から充分な仕送りも継続されることになった。全ては落ち着くところに落ち着いたわけで、その過程を忘れてしまえば誰も不幸になっていないようにすら思えた。どれもこれも経済的な部分に問題が無かったからで、父の治療院の成功が成せた業でもあったんだ。しかし、それは長く続かなかった。