「焼かれたCD」 第十話 | 月下の調べ♪のステージ

「焼かれたCD」 第十話

第十話「冬の切なさ 後編」


第三楽章

氷の上を、転ばぬようゆっくりした足取りで注意深く進む。

乱暴に歩いて滑って転ぶ。

最初のヴァイオリンソロが、人間がゆっくりそうっと、ひとつひとつ歩を進める様子を描き出す。その切々と続く調子、つまり人間の思いは続く合奏でも最初は同じ周期だが、途中から歩みの様子が小刻みになって、我慢できなくなっていく様子を表す。

そして、つるつると滑り、ついに大きく転んでしまう。


だが起き上がり、氷が砕け、割れ目ができるほど激しい勢いで走る。

続く第二のヴァイオリンソロは人間が走る様子。悲痛な旋律が心の叫びを歌い上げている。途中から少し乱暴な奏法が氷が割れる様子を描き、そして一休みできるところにたどり着いたのか、走る足をスローダウンさせて、立ち止まる場面になる。


南風、北風、そしてあらゆる風たちが戦っているのに耳を澄ます。

立ち止まったのは優しい南風が吹いているからだと変調したあとの流れるような合奏が訴える。しかしそれは長く続かない。北風が襲ってきたのを突然のヴァイオリンソロが速く激しいテンポで主張して、そのままフィナーレの合奏へ。ソロと合奏パートとの掛け合いが北風とその他の風々との戦いを表し、自然の壮大さを表すかのように堂々とこの曲を締めくくる。


一人の人間に直接迫ってくる冬の厳しい寒さ。それを助けてくれるのは誰もいない。そしてそれを作り出している大自然という、人間の力ではどうすることもできない大きな流れ。ヴィヴァルディが描いた冬は、厳しさが深々と迫ってきて人間が堪えきれなくなっていく様子、孤独の寂しさと無力感をも含んだ、そんな人間の切なさなのだ。



父の離婚で、治療院は母という明るさを一つ失った。新たな生活のためなのか、それともあの女と生まれてくる子供のためなのだろうか。父はさらに遅くまで治療院で働くようになったし、あの女が出産で不在の頃は治療院を不慣れな新入りの助手と二人で支えていかなくちゃいけなくって、盲目の父にとって店の切り盛りは相当ストレスになったに違いないだろう。気取り屋でたまに怒りっぽいところを見せてしまう父のことだから、そんなこんなで治療院の評判は失墜していって、その影響はことのほか大きく、患者さんの大半を占めていた体調の調整のために気軽に訪れていた人々が大幅に減ってしまったんだ。難病治療の割合が増えたわけで、仕事のハードさが父の体調を徐々に追い詰めていった。


 僕は大学に入ってからも、相変わらず人付き合いが苦手で、友達の居ない日々を音楽とともに過ごすしかなかった。一人暮らしは両親の監視からの開放であったと同時に、協力者や理解者がいなくなったことでもあったんだ。誰の助けもない学校生活の日々は意外にもハードで、実験や、気難しい講師の科目の越えがたいハードルが直接僕に襲い掛かってきた。時折憂鬱に陥ってしまう僕は、音楽で生きていきたいという希望がなければ、つぶれてしまっていたかもしれない。4年生になった頃には音響情報学を専攻した研究室に入り、芳しくない成績ながらもその希少価値からか、音響機器メーカへの就職をなぜか早々に決めることができたのは幸いだったよ。


 父が癌を発病したのはそんな時、平成5年の5月頃だった。こともあろうに舌癌で、盲目の父にとって舌を切除する、つまり言葉を永遠に失うことはコミュニケーション上致命的だったから、懸命に薬物投与による治療の道が模索されたみたいだ。入院先は同じ福岡市内のがんセンター。度々見舞いに行ったのだが、徐々に舌の状態は悪くなり、すぐに普段の会話は文字盤を指差しながらの指談となってしまった。治療院のほうはあの女がつづけていたようだが事実上ほとんど閉院となり、離婚のときの調停の条件になっていなかった僕への父の善意の仕送りはストップされてしまった。


 薬物投与のためチューブを差し込まれた父の様子はかつて気取り屋で頑固だった影もなくなり、無残だったな。喉に差し込まれたチューブには時折痰(たん)が詰まるため、言葉が使えない父には看病のため常に誰かがついてあげる必要が出て、僕も看病に駆り出されることになった。僕にとって仕送りのない、バイトと卒業研究と、徹夜も交えた看病のつらい日々は、父が結局手術をした11月を過ぎても続き、術前に全身に転移してしまっていた癌に蝕まれて父が亡くなる年末まで終わらなかった。


──

そうだ。父もまた冬の日々を送ったんだ。耐えられない、やりきれなさと無力感の日々。そんなことを思っている中で、冬のフィナーレがヘッドホンで流れ、そして重い終和音とともに壮大な情景の幕が閉じた。高速運転に移った列車は、僕が気付かないまま郡山をとうに過ぎた後で、新白河の駅を、おそらく200km/hを超したスピードのまま通過しようとしている。窓から見える景色は半分が防音壁に阻まれていて自然があまり感じ取れないが、移り行く天気は悪くなっていて、少し荒れた空の様子が季節の境目であることを象徴しているようだった。