「ステイゴールド女」 第一話 | 月下の調べ♪のステージ

「ステイゴールド女」 第一話

注)馬年齢は全て新表記(満年齢)に統一しています。


第一話「また2着」

「うっしし~。また取っちゃったよぉ。」

「うししってマチコさん、まさかステイゴールド買ってたの?」

「うんっ!複勝だけどね~。」

‘98年の宝塚記念(GⅠ)は、破竹の勢いで中距離重賞を連勝していたサイレンススズカが1番人気に応え、この日も得意の逃げをキメて勝利した。2着には猛然と追い込んだ9番人気のステイゴールド。2.8倍の単勝では物足りないと、スズカを軸に馬連でエアグルーヴとメジロブライトに流していたショータの買い目は結果1着3着、見事にこの穴馬に邪魔された格好でハズれていた。


このショータという男、自称理論派馬券師で、昨年は120%の回収率を誇った腕前の持ち主。このレースこそハズしたが、重賞レースばかりの馬券成績は今年もまだ勝ち越しである。22歳で中肉中背、社会人2年生だ。会社での評判はもっぱら「おとなしいコ」、悪く言えば典型的な「見た目、無気力な若者」だった。オシャレへの興味の無さも手伝って、彼女イナイ歴22年(本人は15年だと主張している)。しかし見た目の無気力さとは裏腹に実は凝り性で、高校生の頃に競馬ゲームにハマったのを皮切りにやがて本競馬の魅力に目覚めた。それ以来この熱を冷ますものは、去年就職してからすぐ上司にドヤされる日々が始まるまで何もなく、馬券を買いに行く機会が減っても重賞レースだけは毎週チェックしていた。好きな馬はトウカイテイオー。常識を覆した’93年有馬記念の走りに大泣きしたというから、実はロマンチストなのかもしれない。そうは言っても予想に関しては理系人間らしくドライで、表計算ソフトを駆使したペース分析という彼独自の秘密兵器が好成績を産み出していた。


「ステイゴールド、こいつはステイヤー(長距離適正の馬)ですよ。中距離のGⅠでくるわけがないんです。ほら前走の天皇賞のペースが・・・・。」

レース前に長々と講釈をタレていたショータの言葉が空しい。ただでさえGⅠ当日ということもあって、開催日でもない府中競馬場に多くの人が押し寄せてきている。そんななか、彼女はその資料付きの説明を一部始終しっかり「うんうん」と聞いてくれたというのに、彼女が買った馬券はその裏を行き、あろうことか的中してしまったのである。聞けば前々走の天皇賞・春(GⅠ)でも、10番人気のステイゴールドの複勝を当てたのだという。

「この馬、またGⅠで2着にくるよ、って、ビビッときたのね。」

「そんなぁ・・・。」

また2着って滅茶苦茶いうなよ、とは鋭い突っ込みだが続けての言葉として出せない。自信満々に披露した予想を台無しにされ、ショータはそのプライドを打ちひしがれていたからだ。しかも彼にとって記念すべき生涯初めてのデートの場において(このことは他の誰にも内緒である)。

マチコは彼の予想のことは全く気に留める様子もなく、ちょっと自慢げにニヤリとして、当たり馬券をヒラヒラさせながらこう切り出した。

「ほら、この馬券換えてきなさいよ。今日はあたしのオ・ゴ・リ。」

彼女がかもしだす存在感に圧倒され、もはやこの命令にショータは全く抵抗できなくなっていた。今日からショータはマチコの飼い犬、それが決定付けられた瞬間でもあった。

「はぁ・・・」うなだれたまま彼は、複勝馬券を受け取り、既に長くなっている換金所の行列の最後尾へトボトボと向かわされた。


マチコは今年25歳。ショータと同じ会社で庶務を勤めて8年めになるというから、もはやベテランだ。仕事ぶりもテキパキとしてて誰もから評判がいい。150cmそこそこと小柄で、体つきもほっそりとして目立たないが、持ち前の明るさとぱっちりとした目がかもし出す可愛らしさ、小粋なギャグセンス、そして楽しそうにしているときだけに見せる、カリスマ性と言ってもいいその存在感。彼女の魅力は、ショータには知れば知るほど光り輝いて見えるのだった。しかしオトコがいるというハナシは不思議と耳にしない。

ある日の昼休み、彼女が3つ向こうの部署のショータになぜか声をかけてきた。

「あたしねー、お馬さん好きなのよ。実は『オダギラー』なんだ、エヘヘ~。」

突然憧れの女性に声をかけられ、5秒間カタまるショータ。その隙に彼の手にある週刊の競馬雑誌をすっと奪い取り、易々とその真意を果たすマチコ。

「ふーん、またステイゴールド出るんだ。」

たまたま目に付いたページで今度のGⅠレースに興味を示す彼女に、心拍数が収まらないままショータが発してしまった言葉が、

「に、日曜日いきませんか?府中・・・。」

これが彼の初デートの経緯だった。

そう、ふたりはまだ付き合っているというわけではなかった。いや客観的にはっきり言ってしまえば、マチコはショータの手にはまだ遥か届かない、「近くて遠い」存在である。


「すっかりパシリだよもぅ。」

ショータは独り言をつぶやきながら換金所をあとにしたが、内心は幸せそのものだった。月に一度程度とはいえ、彼女の競馬観戦に、これからの、自分だけの役回りができたのだから。初デートの成果としては、彼にしては上々と言えた。

「しかし、何だヨこの馬は。重賞未勝利のクセに・・・。」

ショータは、去年デビューしてしばらく初勝利をあげられなかったこのステイゴールドという馬をまだよく知らなかった。そしてこの馬に秘められた「力」に、そして自分の中で芽生え始めたその馬への親近感にも、まだ気が付いていない。