「ステイゴールド女」 第二話 | 月下の調べ♪のステージ

「ステイゴールド女」 第二話

第二話「府中競馬場」

それからというもの、ショータには毎月のように「おトモ」の指示が下った。彼はただついていく、もちろん一度も断ることなく。隣を並んで歩くことはかなっても、手を握りにいくシチュエーションにはまだとても持ち込めない。貯めこむしかなかった口座に手をつけて服を上下買い揃えなおし、朝ブローもキチンとやるようになった彼だが、その努力の成果が表れる日は来るのだろうか。

マチコの「主戦場」は府中競馬場か、立川ウインズだったが、どちらかといえば前者のほうが多かった。というよりむしろ、特に問題がなければ開催が無くとも府中競馬場のほうを選ぶとのこと。理由は2回目のデートで早くもわかった。

「ショータ、第六レース当たったでしょ、焼きそば買ってきなよ。」

指示通りとはいえわざわざ、遠くの第1コーナー側の売店まで行く。最初はその真意もわからず、自分の分も含めて「やきそば二つ、ショーガ抜きで」と注文した。すると普通盛りのはずなのに出てきた量がすごい!両方の手にそれぞれ皿を乗せ、こぼさぬよう持ち帰るのは難儀で、帰りは行きの倍の時間がかかった。

「あら、2つ買ってきたの、大丈夫?ふふふ。」

彼女が心配したのは、持ち帰りの大変さへの気遣いではない。彼女はいとも簡単にその一皿を平らげたが、ショータは食べてみて実感、とても軽食といえる量ではなかった。食に関しては健全な彼も、なんとか7割を詰め込んだところでギブアップ。午前中、彼女のペースにあわせてジャンクフードをつまんでいたのがアダになった。そう、マチコはその小柄な体に反して、とんでもない大食女だったのだ。座り込んで食べながらの観戦となると、たしかにウインズ構内というわけにはいかないよな・・・。

 やがて秋が訪れ、その府中競馬場でGⅠが開催された。第一弾は天皇賞・秋。この日はデートに邪魔が入った。マチコの後輩ムツミ、サイレンススズカの大ファンだという。とにかくキャッキャとうるさい、ミーハーらしい。マチコいわく「ムツミ、とてもかわいいよ」とのことだったが、ショータにとってはふたりきりの時間を奪う乱暴者でしかなかった。

 本番のレースでは、単勝オッズ1.2倍と圧倒的一番人気のサイレンススズカが途中まで快調な大逃げを演じて見せたが、4コーナー手前で躓いたような仕草を見せると徐々にスローダウン。異変に気付き始めた場内は重低音で騒然となりはじめ、「ちょっとおかしくなった」のアナウンスとともに1オクターブ上の悲鳴が重なって、スタンドはいつもと違う大音響を奏でた。「えっ、何~、うそ~!」ムツミの金切り声をさすがのマチコも止められない。ターフビジョンが映し出す、壮絶な直線の叩きあいを観る者はいつもの半分しか居なかった。4コーナーはずれで武豊騎手が下馬したスズカが群集の視点のもうひとつの焦点だった。

「飛ばしとったから、予後不良やないか?」

無神経なオヤジの言葉が耳に入ったため、ムツミの暴走はもう止まらない。奇声をあげて泣きじゃくるムツミを二人で両側から支えてスタンド裏のベンチへ退避する。「大丈夫、だいじょうぶだからねっ!」サイレンススズカが死ぬことはないと、根拠をもたないはずのマチコが必死にそうなぐさめる。それがようやく効きはじめたのは、もう表彰式が始まった頃。レース結果を確認することなく、三人は競馬場をあとにした。そしてその夜遅くのスポーツニュースでは、スズカの薬殺処分の報が流れた。

 レースは7歳馬の伏兵オフサイドトラップが勝利していた。ステイゴールドはまたも2着だったが、大変な逸機であった。最後の直線で鋭く伸びたのも束の間、大きく斜行し内ラチにモタれてしまうという問題レースだった。これがなければ勝利していたのではとの声もあった。

宝塚記念のデータを加えたショータの事前の分析は、このハイペースになるであろうレースでは、たとえ距離が不向きでもステイゴールドが有力であることを教えていた。実際そのようになり、ショータの馬券はスズカからの流しであったためハズレとなったが、マチコの3たびの複勝はまたも的中していた。馬券の換金は一ヶ月後のジャパンカップ、そのときステイゴールドは着外に敗れるのだが、さらに一ヵ月後、年末の有馬記念ではグラスワンダー、メジロブライトに次ぐ3着と健闘、馬もマチコもきっちり借りを返すのだった。

スズカの悲劇の後、二人のデートを邪魔するものは二度と現れることはなかった。徐々にファッションにも感心を向け、時には冗談もいうようになったショータを横目に、ぴったりの相手とニラんだムツミを紹介するつもり、つまりいらぬ気遣いをしたのだということは、後にも先にも、マチコはオクビにも出すことはなかった。

 競馬界ではこの頃から、若者を中心にしたステイゴールド人気が巻き起こり始めた。「イマイチ君」。「善戦マン」。勝ちきれない悲しさをパロったものでしかなかったこれらの形容が、その魅力を表すものとして適切でないことが明らかになるのはしかし随分後のことである。ただ、ショータはその秘めたる能力の一端に早くも気付き始めただけでなく、「なかなか勝ちきれない」その様を自分にダブらせ、近いうちにくるであろう彼の勝利を期待するようになっていた。