「ステイゴールド女」 第四話 | 月下の調べ♪のステージ

「ステイゴールド女」 第四話

第四話「あたし見たもん」

ステイゴールドが勝てない原因のひとつがその「ジリ脚」にあることは、関係者の間だけでなく、すでにファンの間でも有名な話になっていた。自身が小柄だったからであろうか、ラストスパート時の一時的な最高スピード(つまり瞬発力)がない馬であり、スローペースからの直線勝負のレースともなると他馬との差が歴然としていたのだ。一流馬の魅力が、直線で発揮されるその豪脚にあるとしたら、確かにステイは逆に「イマイチ」であった。それゆえ、彼が勝つには、ハイペースが必須条件とも言われていた。

‘99年秋を一戦、京都大賞典(GⅡ)で叩いたステイゴールドは、そのまま天皇賞・秋(GⅠ)に向かった。他の一流馬たちと同じ、本番のGⅠで力を発揮しやすいローテーションである。

本番の天皇賞のメンバーには、強力な逃げ馬が多かった。かつて大逃げでターフを沸かせた1番人気のセイウンスカイこそ差し馬に転向していたが、それでもハイペースは必至だとショータは予想した。なにより、最有力のはずのスペシャルウィークが前走からおかしく、調教も絶不調だという。これは、ひょっとすると・・・。

「今日のショータ、なんかカッコいいね?」

「いつも、って言って下さいよ。」

ショータは前日に特に綿密な分析を済ませてから、マチコと府中競馬場に乗り込んだ。彼の分析結果が大きな「チャンス」を示しており、膨らんだ期待が彼をさっそうと歩かせ、いつもと逆にマチコをリードするかのようだった。

「チャンス」とは、パソコンがハジき出したステイゴールドの勝率がこれまでのGⅠより倍以上高いことだった。12番人気と人気落ちしているということもあって、自称馬券師のショータにとってはこの上なくおいしいレース。迷わずステイの単勝馬券につぎ込んだ。

しかしこの場合は馬券のことはニの次、ステイが勝ったときにどうキメるかが重要なのだ。ゴールの瞬間に手を取り合って、いやいっそどさくさにまぎれて抱き合って、それから見つめあって・・・そうだ、観戦場所は重要だな。ショータはターフビジョンとゴールの瞬間を一望できる絶好のオープンスペースとして、スタンド3階の通路階段の一段を、マチコと並んで占領しスタートを待った。

 ファンファーレ、そしてちょっとした事件が起こる。1番人気のセイウンスカイがゲートインを嫌がったのだ。3分、5分・・・古馬GⅠのスタートがこれほど手間取った例もないほど遅れたが、イライラするどころかショータはむしろ、内心ほくそ笑んでいた。ライバルのトラブルでステイゴールドの勝利の要素がさらに高まったと解釈したからだ。当のステイはゲートの中でおとなしく待ってくれている。

ようやくスタート、逃げ馬は単騎で競り合いにならないが、やはりハイペースだ。タテに長い展開のまま一分ほど過ぎるのを、スタンドはじっと見守っている。昨年のような悲劇もなく、各馬無事に4コーナーを迎えたのを確認すると、群集はそれぞれが握り締めたものを叫びだし、スタンドはフェアな活気に包まれた。

ステイゴールドの小さな馬体が目立って見える。熊沢騎手が直線早めに追い出すのはいつものことだが、このときばかりは反応と勢いが違って、輝いてすら見えた。そのまま外に持ち出し、府中自慢の長い直線。これならいける!

ジリ脚、お前は今回もそうか。一跳びずつ、前脚を投げ出すたびに、確かに先頭との差を詰めてくるのだが、ショータはヤキモキさせられて仕方がない。このままいけば、ゴールで先頭に立つと信じるしかない。坂にさしかかってからもなお、とてつもなく長い20秒間。

不意に、忘れかけていた黒い馬体がステイの外から襲い掛かり、勢いが違うその瞬発力から目をそらしたい気分で一杯になる。ステイだけを注視、もうかわしそう!そして、遂に先頭に立った!すぐに外からステイよりも一回り大きな馬体が覆いかぶさり、思わず心の中で叫ぶ。「スペシャル邪魔するな!」

 明らかに、かわされたと判るところでゴールした。歓声で聞き取りにくい実況を確認するまでもない。ステイは最後のひと伸びが足りなかった。鞍上の熊沢騎手が、スペシャルウィークの武騎手と健闘を称えあってかハイタッチする。

ショータは予定の行動を実行に移せず、悲しい目だけをマチコに向けると、彼女は青い馬蹄形のゴール板を見つめたまま、いつになく真剣な表情。視線に気づくと彼女はこう切り出した。

「ねね、いま、すごいの見ちゃった。」

同時にショータの背中をバンと叩いてくる。初めてのことだ。

「えっ?負けちゃいましたよね。」

「違うの。今ね、ステイ。一着を『譲った』のよ。あたし見たもん。」

「そんな・・・」

こんなに笑える話なのに、彼にとっては強烈な追い討ちだった。悔しさで涙が出そうになるのをぐっとこらえ、かわりに「11月は小遣いナシですよぉ」と単勝馬券がハズれたことに転嫁して、作った苦笑いでごまかした。

後日発行の競馬雑誌に熊沢騎手のコメントが載った。

「決め手の差としかいいようがない。」

そんなこと言うな。GⅠだから、相手がスペシャルだから勝てなかったと言うのか。それにあのハイタッチはなんだ。お前はそれで満足なのか・・・。熊沢騎手が苦労して乗っているらしい情報は、雑誌の中にこれまで何度も書かれていた。なんとかして勝たせてやりたい、そう一番強く想っているのはおそらく熊沢騎手なのだろう。それだけに、このコメントにはやりきれないものを感じた。そして、またとないチャンスが去ってしまったという想いを、否定したくて、ぬぐい切れなくて、ショータはしかたがなかった。

 ‘99年、ステイにはその後ハイペースのレースは訪れず、ジャパンカップ(GⅠ)が6着、有馬記念(GⅠ)が10着となり、この年のスケジュールが終わった。ジャパンカップは、スペシャルウィークが、有馬記念はそのスペシャルをわずか4cm差で制したグラスワンダーが、それぞれ勝利した。世界の舞台へとまさに羽ばたいていったエルコンドルパサーを除けば、この2頭が主役の1年と言えたが、サラブレッドの年月は早いもの。スペシャルは引退を表明する一方で、「来年はこの馬の年になる」と囁かれた成長途上の3歳馬が、もう有馬記念の時点では主役からクビ差の3着までと迫ってきていた。