「ステイゴールド女」 第六話 | 月下の調べ♪のステージ

「ステイゴールド女」 第六話

第六話「不遇」

2000年の中長距離のGⅠレースは、次なるステップとしてGⅠ勝利を目論むステイゴールド陣営にとっては、不遇なものであった。結果を言ってしまえば、「横綱」テイエムオペラオーの独壇場。春の天皇賞以降、その年の2000m以上の芝GⅠレース5つ全てを勝利してみせた。この馬の全盛期の走りは、着差こそさほどではなかったが、先行、差しと自在な位置取りから、直線ではライバルに並びかけては必ず競り落とすという、勝負に徹した強い内容であった。圧巻だったのは有馬記念で、最後の直線で前が壁になった大ピンチの状況で、オペラオー自身が壁のわずかな隙間を見つけて割って入り、そして抜け出すのを、全国の観戦者が目撃した。その「賢さ」を見せつけたレースは、オペラオーの安定性、隙の無さを大いにアピールし、引退するまで無敵なのではないかとも思われた。また、同じ世代のレベルの高さから、この馬こそ史上最強馬との声さえも多く聞かれた。

メイショウドトウ、ナリタトップロードの「大関」らも横綱に準じた結果を毎回出した。オペラオーさえいなければ栄光は彼らのものであり、世代が違えば時の最強馬になり得たと多くのホースマンが認め、臍を噛んだ。彼らもまた、不遇の辛さを味わったのだ。

「今日のステイどうしちゃったんでしょうね?」

「きっと、おっきいのが邪魔したのよ、いじわる・・・」

2000mと中距離の秋の天皇賞は、長距離馬ステイゴールドにとって過去‘98年、’99年連続2着となぜか相性のいいレース。2000年のレースも再度武豊騎乗とあって一部で期待されたが、当時有名だった「魔の第ニコーナー」で不利を受けてしまい、見せ場なく7着と敗れた。府中競馬場の2000mのレースはスタート地点が第一コーナー付近にあり、スタート直後に第二コーナーの左カーブに入るという構造的な問題があり、第二コーナーのインコース争いがいつも激しくなるのは当然のことであった。その2年後には数ヶ月間開催を無くして改修・改善されたほどかつての悪名は高く、「秋天は一番人気が勝てない」というジンクスの一因とも言われた。ともあれ、結果的には新しいライバルたちの後塵を拝し、ステイは馬券に絡むことすらできずにその年を終えた。

鞍上のほうはというと、秋の天皇賞以外は後藤騎手が担当したが、やはりなかなか手に負えないでいる様子で、満足な結果を出せなかった。そして、春の天皇賞以来8ヶ月というブランクは、熊沢騎手にはもうステイに乗る機会が二度と来ないことを示していた。

ステイゴールド陣営は、有馬記念の前に来年も現役続行することを既に表明していた。彼らの思いもまた、このままで終わって欲しくない、ということのようだ。

2000年末最後のレースが終わり、ショータは馬券が当たったのにまったく喜ぶことができなかった。ステイが出走するGⅠレースは数ヶ月先のことになるからだ。しばらく会えませんねと、「素直」に寂しがることができるようになったのは、しかし駆け引きの上達でもあった。

「また来年があるから、ね?元気出しなって。」

そう言って、マチコはまたバン、と左手で背中を叩いてくれる。その時の距離が毎回近くなってきているのが密かに楽しみで、ここまでは作戦通りだったのだが、今回は彼の右腕を抱え込んで強く寄り添ってきたので、激しく動揺した。予定外の状況には弱いのだ。抱き寄せ返すどころか、言葉すらも発することができない。

マチコはむしろ判らないようにしていたのだが、実は彼女が買った馬券の変化を目ざとく彼は見つけていた。いつからなのか、復勝ではなく単勝馬券。2着や3着でない、ステイの勝利こそを、彼女期待するようになっているのだ。勝利の喜びは、確かに共有できるものなのだ。そして、確かに近づきつつある距離・・・。彼は「その時」の妄想を、彼女の側面の感触を味わいながら描いたが、傍から見るとただ固まったままの彼を、上目使いでちらと確認する彼女の視線は見逃してしまっていた。

ともあれ、馬券がハズれた彼女が当たった彼を励ますのは、競馬場においては異例の光景だった。

2001年、明けてステイはもう7歳。競争馬としてはもはや高齢であり、同期の馬たちのほとんどが引退してしまっていた。しかし当のステイは衰えを見せず、鬼の居ぬ間とばかりに1月の日経新春杯(GⅡ)を、格の違いを見せつけて勝利した。陣営が発表した次走のプランが、なんとUAEドバイへの海外遠征。その異例さと自信の程に、競馬界が大いに驚愕したのは言うまでもない。