「ステイゴールド女」 第七話 | 月下の調べ♪のステージ

「ステイゴールド女」 第七話

第七話「砂漠の夜の夢」

UAE(アラブ首長国連邦)の一つの首長国であるドバイ。その頭首であるモハメド殿下は競馬界に対しての巨額の支援を続けていることで有名であり、その一環として企画されてきた競馬の祭典「ドバイワールドカップデー」が遂に1996年に創設された。それ以降毎年3月に、「砂漠の中の人工オアシス」ナド・アルシバ競馬場で開催されているこの祭典は、プログラムが7つの高額賞金レースで構成されており、特にメインレースでもある「ドバイワールドカップ(国際GⅠ、ダート2000m)」は一着賞金360万ドルという、世界最高クラスの額を誇っている。ステイゴールドが出走する「ドバイシーマクラシック(国際GⅡ、芝2400m)」も、賞金は日本のGⅠと同じレベルだ。レースは現地時間の夜に行われる。日本時間で言えば、土曜日の深夜になる。

 その、「ドバイシーマクラシック」で、ステイゴールドが勝利したという。ショータはもちろん期待はしていたのだが、日曜日のテレビでの結果速報にはさすがに驚いた。快挙だということは判っている。どのくらい凄いことをやってのけたのか、その詳細を知りたい、すぐにでも。今週末のテレビで詳しく放映されるだろうが、待ち遠しくて落ち着かない。

月曜日出社すると、たまたま出張で来ていた名古屋支店の同期、ワタナベに出くわした。入社当時は新入社員研修で一緒に合宿した、文字通り「同じカマのメシを食った」仲である。競馬の話題で花が咲き、合宿先から近い横浜のウインズにも一緒に行った。サニーブライアンが逃げ勝ったレースに一緒に呆れ、そのまま引退されて「勝ち逃げされた」とまた一緒に苦笑した、そんな思い出が懐かしい。

「おう、元気そうやん。『お馬さん』はやっとんの?」

「ケーブルテレビとPATに入っとんねん。毎週ウチでやっとる。」

どこの方言かわからないイントネーションは放っておく。もしかして、とショータは早速その「ケーブルテレビ」という言葉に飛びついた。驚きを顔で表現しながら、

「ステイゴールドは・・・」

と切り出すと、質問の内容も確認しないまま、ワタナベはふふんと得意げになって言った。

「ドバイのレースなら、全部ビデオに撮っとるで。」

頼んだダビングのテープが宅配便で届いたのは、水曜日のことだった。名古屋に戻ってすぐに送ってくれたらしい。早速梱包を解いてデッキにかける。

 スタジオのつまらない解説と座興をはさみながら、数十分おきに現地の1つひとつのレースが繰り広げられる。3つめのレースがシーマクラシック。ダリアプールやカイタノ、インディジェナスといった耳にしたことのある強力なメンバーのなかに、去年のジャパンカップにも出馬していたファンタスティックライトもいるではないか。昨年はジャパンカップこそ3着と破れたが、エミレーツWRCで総合優勝、世界最強の一頭との呼び声もあった。鞍上は世界の第一人者との呼び声高いL.デットーリ騎手で、文字通り世界最強コンビである。前評判は一番手、納得のいく評価だ。

 数日前の海の向こうのレースが、ショータの部屋で今まさに始まる。ステイはスタートも悪くなく、間もなく堂々と自分のポジションを馬群後方で主張する。馬群は固まった一団であったが、けしてスローペースではない。それぞれの馬のベストポジションが近いことがそうさせているのであろう。世界のトップジョッキーたちのレベルが感じ取れるような光景だ。ステイの武豊騎手もまた、その一人である。

 向こう正面で馬群と平行して走る中継車がアップで映し出す迫力満点の光景では、しかし何も目立った動きが映らない。やがて周回内側の中継車が離れ、一団の形が崩れないまま第四コーナーへと差しかかる。カーブを曲がり切るところで、馬群から早めに抜け出しを図った馬を追いかけて、脚色のいい馬が一頭、ファンタスティックライトだ。実況はまだ600mの直線という「期待」が残っていることを教えてくれる。

次の瞬間、馬群に隠れていたステイも顔を出す。またもや武豊騎手の仕掛けの瞬間がわからない。手綱追いだけで、勢いを徐々に増しつつ最後の300m。すでに先頭に立っていたファンタスティックライトと、追いかけるステイゴールド、2頭の一騎討ちの様相を呈してきた。ジリジリと、しかしステイの加速はまだ終わらない。デットーリ騎手が大きなアクションでしきりにムチを入れ、手綱で一体となったままのステイと武騎手が静かに追いすがる。1馬身、半馬身、徐々に馬体が重なって、届く・・・?かわしたとは思えない、並びかかったところでゴールした。何度か巻き戻して見返すと、2頭が並んだところで、首の上げ下げでステイが勝っていたのがようやく判別できた。

確かに素晴らしいステイのレース振りだったが、先着できたこと自体は幸運そのものだった。そしてこの結果はそのまま額面どおり、「世界最強馬」を負かした、としてよいものなのか?ファンタスティックライトはこの年の緒戦であり、本番前の前哨戦かもしれないし、去年ほどの力はもはや残っていないのかもしれない。ひょっとしたら、相手を甘く見ていたかもしれないし、負けてもいいと軽く考えていたのかも知れない。そんなことが頭の中を駆け巡り始める。レースシーンを巻き戻しては、同じことを考え、また巻き戻しては、ぐるぐるぐるぐる・・・・。

いつの間にか、テープを再生にしたまま上の空。ショータはこのレースが、どうしてGⅡなのか、どうしてGⅠじゃないのか、もう納得がいかなくなってしまっていた。メインの「ドバイワールドカップ」で4歳牝馬トゥザビクトリーが2着の快挙を成し遂げ、奇跡の度合いとしてはこちらが上なのかも知れないが、もう気にも留まらない。こうして、中東の砂漠の夜の夢の祭典は、部屋の中の砂嵐へと埋もれて、やがて消えていった。

翌日夜になって、マチコに電話。ビデオを宅配便で泊り込み先の旅館へ送った旨を伝えた。

「最後は届き切れないかと思ったら、首の上げ下げで勝ってやがった。」

「あはは、さすがあたしのステイね。ごほうびしてあげたくなっちゃった。」

彼女は何かプレゼントでも思いついたようだが、詳細は「うふふ、ないしょ」と教えてくれなかった。仲居の彼女にとっては、夜は仕事の時間。合間の電話は長くできず、次は宝塚記念だよ、と再会の見通しを確認し合ってすぐに終えた。

ちなみにこの「ドバイシーマクラシック」というレース、賞金はそのまま、翌年から国際GⅠに昇格されたことは、全くの余談である。