月下の調べ♪のステージ -7ページ目

「焼かれたCD」 第五話

第五話「蘇るLPの記憶」


父の部屋、もう奥にしまわれていたLP盤の束。ぱたぱたとめくっていて、記憶の鍵がはずれていく。ここにはないことを確認すると、僕は自分の部屋に戻り、しばらく開けていない棚の引き出しの、さらに奥底を真っ先にあらためる。あった。発見された厚紙のケース。「ヴィヴァルディ『四季』イムジチ合奏団」と表のレーベルにある。


発見と同時に、閉じ込めてしまっていた記憶と覆い隠していた事実が完全に蘇る。やはり。中身にはLP盤。2つに割れていて、あのときついたと思われる引っ掻き傷もあって、無論とてもプレイヤーにかけられる状態ではない。これだったのか、僕が1年生の頃に何度も聴くことによって刻み込んだ「四季」のイメージは。よりによってこれだったのか、あのとき割ってしまったレコードは。


ケースの中には、ケースと同じサイズの解説書が入っていた。四季が作者不明のソネット(詩)を描いた作品であることと、そのソネットそのものが載せられている。また「イムジチ合奏団」という楽団がコンクールの入賞者ばかりで占められた優秀なソリストの集団で、指揮者を持たないことも書いてある。しばし解説書を読みふけった僕は、この再生できないLPを再び聴いてみたくなった。ここにあるはずだ。コンサートマスターが豊かに歌い、綺麗に揃う力強いトゥッティに、クラヴィコードが彩りを添える、理想の「四季」が。


 レコード店に行って代わりのものを用意する小遣いは持ち合わせていない。そもそも父はこのLPの存在を忘れてしまっているのではないか。イムジチ、という楽団名も気にしないで購入したかも知れない。僕のそういう悪意は、的を射ていた。雑誌で知ったことにした「イムジチ」の名前を出し、聴いてみたいとの僕から申し出に、父はまずレコード店に電話した。CDもLPも売り切れで、取り寄せには数ヶ月を要するというのが返答だった。父の伝手で、中古のLPだけは取り寄せることができた。


 これだ。こんなに響きが伸びる旋律があるだろうか。こんなに複数のパートが次々に、直接語り合うようなかけあいがあるだろうか。こんなに音階や同一音の刻みが全ての弦楽器で揃ってみせるトゥッティがあるだろうか。こんなに美しくマッチして聞こえるクラヴィコードの余韻があるだろうか。


僕は実は再会したものを、ようやく初めて出合ったと、この「イムジチ」を父に強く薦めたが、埃と劣化による音質の悪さから、論文のバック・グラウンドには結局採用されず、この中古LPは僕の愛聴盤になるだけとなった。しかしいつの日かCDで聴いてみたい、というのが父と僕の共通した想いでもあった。──



もうすぐ米沢駅に到着するとのアナウンス。山形新幹線「つばさ」のグリーン車中で、僕が手にしているCDは、あの事件の頃、入社してから間もなく街の小さなCDショップで買ったもの。なんのことはない、イ・ムジチ合奏団の四季はベストセラーとして広まり、いまやこうして簡単に手に入るんだ。僕が今開いている解説書も、当時のものと同じようなことがどうも書いてあるみたいだな。こんなにくつろぐ事ができる時間の一部を、あらためて精読することに充てる気はおきないや。ソネットの部分だけをなんとなく眺めてみる。


三百数十年前の、イタリアの農村の風景を描いたというこのソネット、そしてこの「四季」。「四季」は「春」「夏」「秋」「冬」の四曲から構成され、それぞれが第一楽章から第三楽章までの三楽章構成になっているんだ。第二楽章は比較的緩やかで、いずれも豊かな響きを内包している第一楽章と第三楽章の合間の一休みのような印象を持たせるものばかりだけれど、それだけに他の部分が引立つんだよね。


春については、中学校の音楽の授業にも出てきていたよ。音楽の先生いわく、「『春』は風景を描いたもの」。ソネットと並べて聴いてみると確かによくわかりやすいし、音楽自体は非常に美しいものだから、それで名曲というわけなんだろうけど。ソネットをそのままモチーフにした、風景を音で模写しただけの曲に思えて、当時の僕はこの詩と曲のコラボレーションが描き出すイメージには感動できなかったんだ。そもそも描かれている風景自体、現代の日本に住んでいる僕には実感が持てるものではないよ。


でも、現在の僕には実感できる。当時の僕が理解できなかった、ヴィヴァルディが描こうとしたもの。


 風景の描写だって?ふふ、とんでもない。


この四曲は、四季をとおして表われた庶民の心理を表現したものなんだ。その証拠に、全ての曲、ほとんどの楽章に人間が出てくるじゃないか。人間が直接描かれていない楽章も、人間の目から見た風景を描くことによって、人間の感情そのものが表れているじゃないか。


 「確かめてみようか。」そう独り言をつぶやきながら、僕はイ・ムジチの「四季」のCDをケースから取り出し、ヘッドホンステレオにセットした。閉じた円形のプレーヤーのなかでCDが回転しだした感触が、どこか遠心力となって手に伝わってくる。座席の前の置き台を外し出して、プレーヤーをまっさらなテーブルの中央に置いてみる。


 列車は米沢駅を静かに出発したあとで、加速の段階であることが背中全体に伝わってきている。

「天童旅行記」 第一話

第一話「出発」


4月23日(土) 東京 晴


もう一駅、というところでをいら(日野 30代)の携帯が鳴った。声の調子、ノリさん(京都 ?代)らしい。一度会っているからわかる。

「交番前ですか?そこで、そのまま動かないで。こちら、あと5分くらいで着きますから。」

前回のオフではお別れの際になって、ノリさん自身が泊まっているホテルの名前が分からないでいると解り、随分心配させられた。見た目ではかなりのおトシ。将棋では盤面を広く見渡すし、チャットもしっかりできるので、おトシの割に精神が若い方なのだとばかり思っていた。


内装で唯一、レトロな雰囲気を残す丸の内南口を駆け抜けると、真新しいナイロン製の旅行鞄をキャリアーに載せて手にしているノリさんが、調度気付いてくれたところに出くわした。指定したとおりの、交番の前だ。まだ誰も来ていないらしく、携帯の時計でも20分前、雑談をして集合の9時を待つ。


10分前になって、続々と到着。風来坊さん(浜松 30代 豊橋 40代)遠いところご苦労様。駒ABCさん(横浜 ?代)はじめまして。はぶはぶさん(国分寺 30代)今日もお手柔らかに。江戸川さん(千葉 40代50代)将棋名刺がよくできててうらやましいな。風牙さん(東京 40代60代)おクルマはやくみせてくださいよ。府中会長(府中 50代)とりまとめよろしくお願いします。


東京駅、丸の内南口交番前。こちらでの集合は、この8名で全員ですね?それでは行きましょう!


 通りを挟んで向かい、中央郵便局の前に、この旅行でお世話になる2台のクルマが停めてある。江戸川さんのキューブキュービックと、風牙さんのセルシオ。みんなの羨望のまなざしがセルシオにしばし注がれて、誰からともなく「じゃんけんをしよう」。運転手以外の6人で、本皮シートの熾烈な争奪戦。


 セルシオの助手席は府中さん、後部座席にノリさんとをいらが座った。キューブキュービックが先導して出発進行!おっと、味わったことのない豊かな加速。発車時に下を向くのは危険だと悟る。府中さんが早速、都内の道路やクルマの話題で運転手の風牙さんをもてなしにかかる。これから6時間、安全運転をお願いしなきゃいけませんものね。


後部座席ではここぞとばかり、をいらがノリさんにインタビュー。64歳で、まだお勤めとのこと。息子さんがをいらと同い年。かつてはお役所勤めということで、最近の公共事業の話題になったり。このカタ、まだまだ全然イケる、肉体がおトシに見えるだけなのだ、と2度のオフを経てようやく理解させられた。


2時間おき、くらいだろうか。サービスエリアで何度か停車、その度にじゃんけんのリターンマッチ。やったあセルシオだ。またキューブかよお。期せずして、結局6人全員がセルシオの乗り心地を体験できることとなった。キューブキュービックの運転手、江戸川さんごめんなさいね。


ゴールデンウィークの1週間前、という中途半端なこの時期。なぜこの時期に「人間将棋」という、天童市の一大イベントが開催されるのだろうという謎が、福島県に入ったあたりから解けてきた。とっくに散ってしまったはずの桜が、散りかけの状態から、咲きほこった満開の状態へと徐々に逆戻りしていく。最後のサービスエリアで買ったおやつがちょうどいいおつまみだ。競馬の「桜花賞」が毎年そうであるのと同じように、現地はきっと見ごろなのだろう。

「セーターは暑くないですか」

と薄着のはぶはぶさんに、向こう(天童)はそんなことないですよとをいらは答える。いつもぎくりとさせられる彼のツッコミだが、今回ばかりは内心うししと思った。

 

「LIVE」最終回

師匠は、甘いものが好みだ。

 

軽く食べられる喫茶店のようなところを浜松町駅近辺で探した。パフェが好みらしいという裏情報を仕入れていたをいらは、しかしそれが置いてありそうな適当なところを見つけられず、結局貿易センタービル地下のファーストフード店で落ち着いてもらうことにした。

 

ソフトドリンクと、ホットケーキ。これをはさんで男二人が将棋の話。

 

師匠は上京の2ヶ月ほど前、ある目標をもってこの大会に臨むつもりだとおっしゃっていた。「上京されたときに聞かせてください」とをいらが言ったまさにその時の到来である。その目標とは、ある難解な詰め将棋集を全題解ききってから大会に臨む、というものだった。盤に並べて解くのではなく、頭の中だけで解き切るのです、ともおっしゃった。

 

師匠は、自分の実力の源は詰め将棋であると常々おっしゃっている。確かに、解くスピードは我々とは桁が違うようだ。例えばをいらが2~3分、ともすれば5分くらい考えるような問題を、師匠は10秒くらいで解いてしまうということを何度も目の当たりにしている。頭の中で鮮明にかつ素早く駒が動き、かつ良い手を発見するスピードが速いのだ。師匠の言葉は、詰め将棋で養ったイメージ力と発見力が、そのまま師匠の棋力のアドバンテージになっているのだと解釈している。

 

目標とされていたその詰め将棋集を、全題解き切ってから大会に臨むことは、しかし叶わなかったのだそうだ。「最初の六十数手詰めの問題は1日で解けたのですが」全て解くには期間も、取り組む時間も不足していた、ということだった。全国大会出場者は、方法こそ異なれ、こういうレベルの取り組みを日頃から行っているのだ。

 

師匠が東京の書店で買い込んだ本を見せてくれた。最新の振り飛車破りの本、矢倉に関する古書に混じって、「詰むや詰まざるや」もあった。詰め将棋集の最高峰とされる本書には江戸時代に創作された「図巧」「無双」の200題の超難解詰め将棋が収録されており、全て解ければプロになれると棋界の大御所が公言しているほどである。師匠はプロ並みの詰め将棋力、つまり他のアマチュアに対しての絶対的なアドバンテージを身につける意気込みなのだ。

 

話はさらに師匠の仕事と将棋の関連へと移っていった。「残業代がつかないんですよ」「全国大会に出るからと休暇を取ろうとしたら上司から怒られたんです」と、不満の中にも避けられない厳しい現実が垣間見える。将棋に存分に取り組める会社への就職の道を断ってまで、師匠は今の会社に居るのだ。「いつになるかわかりませんが、幹部職になったら、プレイヤーとしては身を引くつもりです」とは、をいらも初めて聞く言葉。引退の時期を心に決めていらした。

 

将棋をする存分な時間は取れない。プレイヤーとしての期間は限られている。そして、今日は後から次々と出てくる天才少年の姿を見せ付けられたはずだ。そんな状況の中、限られた競技人生を精一杯悔いのないように過ごしたい、というのが師匠の切実な想いのようである。そしてその先には、いまだ果たせぬ夢があるに違いない。

 

店を出て、山手線で東京駅へ。それから新幹線乗り場へ。お土産も買って両手いっぱいの荷物ををいらは半分サポートしながら、新幹線の自動改札で師匠を見送った。

「今日はお疲れ様でした。」

また、上京してきてください。

 

~終~

「LIVE」第十回

師匠は用意された昼食があるのでそちらへ。をいらは外へと食べに行った。少し歩き回ったため、2回戦がもうとっくにはじまっている時間になってしまったが、観戦する大義名分を失ったをいらは、時間通り戻る義務感を失っていた。ホテルに戻ったとき、会場から出てきてロビーに避暑に来た師匠と、またばったり会った。

「あ、どうも」「どうも」

ロビーでお話しすることになった。2回戦は少し進行していて、中学生と優勝経験者の対戦は、すでに中学生側不利とのことだった。

「あの中学生、強かったですね。」

労いでも、慰めでもなく、をいらは感想を述べた。

「ええ、とんでもない中学生が出てきました。」

終盤力が素晴らしいと師匠はおっしゃった。地方予選でも、全国的に有名な強豪を、終盤の逆転劇で破ってきたのだということだった。師匠が、この無名の中学生のことを研究して本戦に臨んでいたのは明らかだった。

「随分、作戦勝ちに見えたのですが。」

「そこから、勝ちきるのが大変なんですよ。」

師匠の返答は、をいらが観ていて感じたことの裏付けでしかなかった。これ以上、1回戦の将棋の内容について話をするわけにはいかないように感じ、攻めを催促した銀打ちの真意に迫ることはできなかった。


中学生のことから発展した奨励会の話題、1回戦で観た他の対戦の模様等、将棋談議をしているとしばらくの時間が過ぎ、師匠の観戦休憩の時間も終わったように思われた。をいらも2回戦の模様を観ておきたいこともあり、会場へ行きましょうという話になった。そして本戦の結果と会社との申し合わせから、師匠は今日中にも地元へ帰らなければいけないということであり、2回戦が終わったら軽く食事してから2人で東京駅へ行くことになった。


会場に入ったときは、少し手遅れだった。というのは、中学生の盤が終局していて、投了図と思われる局面だけが残っていたからだ。中学生側が居玉のまま一方的に攻められて収束しており、相手の優勝経験者に乱戦誘導され、力負けしたことを物語っている。乱戦はこの優勝経験者が得意な分野であり、「優勝が目標」というこの方なりの必勝のシナリオだったのだろうとをいらは想像した。中学生は「とにかく1勝したい」という戦前の抱負であったが、しかしその夢を果たしただけで終った。


他の対局も佳境に入っていた。超強豪氏が敗れて不在の2回戦の注目カードは、両巨頭のもう一方の方であり、すでにギャラリーを集めていた。相手は大学生。巨頭氏が、この大学生が得意としている戦法を封じ込めたと思われる中盤の局面に至って、大学生は苦悶に満ちた姿をもはや隠せなくなっていた。チャンスを逸したことを後悔しているのか、これからの変化に希望が持てなくなっているのか、とにかく緊張しているのか。声を漏らしつつ、しきりに下をうつむいて、ついに握り締めた右の拳で自分の太ももを殴りつけ始めた。目標としていたプロとの対局権があと1戦となって、しかし立ちはだかった大きな壁。厳然と存在する現在の局面。大学生はやや無理な攻めを敢行するしかなく、それを際どく受け止めてみせる巨頭氏との攻防に、ギャラリーはさらに増えていった。


他の対局も次々と終わっていった。Tさんは、有利に進めていた将棋を勝ちきった模様。近畿の超強豪氏が中盤での失点を挽回できず敗れ去っていたことは、下馬評から言えば2回戦で唯一の波乱であった。やがて、大学生が巨頭氏に負けを認めると、会場は2回戦の関心を失った。では行きましょうか、と師匠と申し合わせた。師匠はTさんを含めた知人の方と次々と簡単な挨拶をかわし、既にまとめてあった旅行鞄とコートを持ってホテルの出口へと歩を進め、をいらはホテルの中ではただその後をついていくことしかできなかった。


「LIVE」第九回

終局直後は、師匠と中学生、どちらからも言葉が無かった。やがてインタビューがはじまり、師匠は敗因をコメントした。捌こうとした飛車側の桂馬が捌けなかったことと、相手のほうが強いと思って指していたこと。後者に関しては、「教えてもらうくらいの気持ちで(対局に)望んでいましたから」とさえおっしゃったが、もちろん本心であるまいとをいらは思いながら聞いていた。中学生と記録係の少年は顔見知りで仲がいいらしく、師匠の側からはじまったインタビューの間に笑顔で向かい合って、小声で話しはじめた。別にインタビューの邪魔になったわけではないが、前述したとおり対局者が記録係にある意味身を委ねているということ(第七回参照)を考えると、をいらはちょっとムッときた。屈託が無いといえばそれまでだが、無神経に思えた中学生の勝因コメントは聞く気になれず、をいらは立ち去るためにTさんの対局のほうに向かった。


Tさんの対局は、番狂わせに気がついたギャラリーで埋まり始めていた。超強豪氏の必死の攻めを最小限の勢力で受け止め、反撃を窺っている様子だが、もう近寄れないためあまりよくわからない。双方とも一分の秒読みギリギリで指していて、まだまだすぐには終わりそうにない。


師匠のところに戻ると、感想戦がはじまっていた。焦点は終盤ではなく、中盤の仕掛け方。中学生は作戦負けを自認しているのか自分から動く順にこだわったが、師匠は中学生の狙い通りに進めてなおかつ有利な局面に導いてみせた。本譜に近い進行になっても、師匠はインタビューの言葉通りに飛車側の桂馬を捌く順を実現する手順を試し、実際師匠のほうが有利になるとの結論だった。ただ、手順があまりにも難解で、感想戦でそれがすらすらと出てくる師匠は対局中に読みの一部には入ってはいたのだろうし、また、読み切れなかったのであろう。


終盤になる前に、決着をつけてしまう手順。師匠もまた、必勝のシナリオを求めて闘っていたのだ。をいらは、朝師匠と会ったときに聞いた言葉を思い出し、体調が万全でないことがこの結末を産み出したとしたらと考えると、少し悼たまれなかった。


感想戦が終わって、すぐ、をいらは師匠に声をかけた。

「Tさん勝ちそうですよ」

師匠とをいらは観戦に移ったが、ギャラリーの輪の外から眺めるしかない。Tさんの反撃が始まっていて、超強豪氏の陣はそれをはね返す受けの駒が無いようで、攻めに活路を見出すべくTさんの玉を追い出しにかかったが、それはするすると上部に抜け、捕らえようがないように見えた。まだ少し手が続くかに見えたところで、超強豪氏が投了。明らかに結果だけを注目していたギャラリーがさっと散った。


 時間が押し迫っていたこともあり、感想戦とインタビューはさっと終わった。師匠はTさんに声をかけたが、それは一言だけで、おめでとうでも、やったなでもなさそうだった。恐らくは「相振りだったの?」といった戦形に関してのものではないだろうか、Tさんもうんと頷くだけで2人の会話は終わってしまっていた。



「夕食休憩」 ~森下九段応援小説~

自室に戻った私は、吹き付けるように息を吐きたいわずかな気持ちを抑えたまま、ただソファーに沈みました。すっかり夏至に近い時期なので、まだ夕日というにも早い位置の太陽が京都の空に君臨しています。カーテンも閉じてみると、電灯をわざと点けないでいるこの洋室にようやく望んだうっすらとした闇が訪れ、和服のまましばし目を閉じました。エアコンがそよぎだした風が胸をさらって気持ちよく、少し汗をかいていたことを自覚させます。追ってこの部屋に運んでくるように依頼してある夕食が到着するのは、私が急遽指定した30分後です。


 あせる必要はないのだ。そして今日の私は、疲れてなどいない。


今回の名人戦は11年ぶりです。この11年の間に名人は幾度か交代しましたが、今回名人として立ちはだかる相手は奇しくも同じ、あの、最強の棋士になりました。


当時の名人戦は1勝しかできず、完敗だった。1戦目でひどい逆転負けをし、ショックがしばらく残った。初めての名人戦、という気負いもあって、必要以上に読みに力が入りすぎた私は、大事な終盤にきて疲れてしまっていた。いや、異様に強い相手、どこかかなわない相手、という気持ちが最初からあったからかも知れない。


順位戦A級に復帰にしたばかりの私は、4戦めから、かねてから構想を練っていた新作戦を採用しました。相矢倉という戦形の探求に、終止符を提唱するもの。それを契機に今年度は相矢倉が盛んに指されましたが、まだ結論に至っていないということのようです。ともあれ、居飛車党棋士との勝負に先手番に恵まれた私は、7勝2敗の成績で挑戦権を得ることができ、この名人戦七番勝負の舞台にいるわけです。


羽生、どこまでも恐ろしい男だ。私の新作戦をいち早く自分のものにし、これを極めるのは自分だと言わんばかりに他棋戦で採用している。かつてまだ若かった頃、私は彼のことを最強のライバルだと思っていたが、彼は私のそんな想いをよそに自分一人だけの夢を達成し、離されないようにとしがみつこうとした私をあっさりと振り落としてみせた。


この名人戦は、矢倉シリーズとなりました。いずれも激戦となりましたが、不思議と後手番が勝つことは無く、3勝3敗でこの第七局を迎えているわけです。そして今、2日めの夕食休憩の時間に至っています。局面は終盤の入り口、激しい攻め合いになってきました。手番は私、55分を費やした考慮中です。


幸運にも先手番を引き当てた私、七度の相矢倉を避けなかった羽生。彼は残された最後の変化とばかりに、まるで共同研究を申し入れてくるかのように、中盤から攻め合いに転じる新手を、2日目の封じ手直後に指した。そこから20手ほど進んだ現在の局面、受けの手を指そうとして違和感が全身に走り、読みの裏付けがとれないままでいた。ここで夕食休憩を迎えたのは、運命なのかもしれない。



自室での考慮を始めて30分後、ドアのノック音で我に還りました。室内灯を点け、内側から開けたドアから仲居さんが夕食の膳を運んできました。穀米と湯豆腐、半熟卵に生野菜のサラダ、それに旬の鰯の煮付け。こういうのがいいのです。


答えが出た。私の受け手の先には、彼が既に見通しているストーリー、そして「見えない手」があった。違和感の正体はこれだったのだ。彼は棋理を極めたいという大義名分のもと、頑ななまでに勝負にこだわっている。勝負へのこだわり、私の想いも同じだ。

──こういうときは、強気にいくんだ。──

少年のとき熱心に教えてくれた、師匠の声が再び聞こえたような気がした。


 仲居さんが膳を引き取りに来てくれました。何も指示しなかったので、自分で返却しに行こうと思っていたところでしたが、時間は対局再開10分前になっていました。

「ご馳走様でした。ありがとうございます。」

私は仲居さんを見送ってから、対局場へと向かいました。


~終~

「焼かれたCD」 第四話

第四話「父のステレオセット」

 

── ~イ・ムジチ合奏団~

1952年に結成されたイタリアの室内楽団で、以来メンバーを少しずつ入れ替えながら現在に至る。コンサートマスターのピーナ・カルミレッリは6代目で、名器ストラディヴァリウスを擁する超一流の女性ヴァイオリニストである。結成当初から指揮者のいないスタイルをとりつつ、バロックや古典を主に演奏していて、1982年に発表されたヴィヴァルディの「四季」は世界的に大ヒットし、バロックブームの火付け役となった。──

 

 手にした小冊子の解説文には、冒頭にイ・ムジチ合奏団についての概要が記してあった。既にほとんど僕が知り得た内容であった。このあとには各曲の解説が、曲のモデルになったソネットと一緒に書いてあるみたいけど、どうせそこらの解説と似たようなものさ。曲を聴きながら眺める程度にしよう。僕は「つばさ」の車窓から見える、どこというわけでもない田舎の風景をぼんやり眺めた。


年代を超えて、なおも愛され続ける。このことは、数百年も昔に作曲されたということだけじゃない、世界中の数々のアーティストから演奏されていること、演奏された時代それぞれの表現を織り込んでいることにもつながっていて、現代におけるクラシック音楽の魅力のを大きく増幅させてくれている。僕みたいな若造がこんなことを言うのは似合ってないんだろうけど、僕にしてみれば、子供の頃の経験があって、さらに時を経て現在に至って、ようやく理解できるようになったことなんだ。


かつて、僕は孤独で、父は既に気取り屋だった。父は、自分の趣味であるクラシック音楽の世界に僕を引き入れた。僕にそういう魅力を伝えようとしたのかもしれない、と今にしては思えるが、当時はもちろん理解できるような素養もなかったし、そう思えるほど僕は優しくもお人好しでもなかった。


かつて。あの、子供の頃。


僕がまだ10歳にもならない頃のある日、当時まだ真新しかったステレオセットのスピーカーの前に僕を座らせ、父はショパンのピアノ曲「英雄ポロネーズ」を聴かせた。その壮麗さ、力強さのなかに、憂いをも織り交ぜたこの曲をして、ただ単にかっこいい曲だなぁという印象しか持ちえず、それすらも言葉にできずに聴き入るだけの僕に、父はこの曲後半の部分で繰り返される低音の下りのアルペジオ(分散和音)を示して、「隆志、これは何を表現しているか、わかるか?」と問いかけてきた。父は僕にその部分が馬が走るときの蹄音であることだけを教え、僕はやがてその曲全体がナポレオンを表現したものであることを知り、父が問いかけた部分はナポレオンが馬に乗って颯爽と走る姿であることを理解した。いや、このとき本当に知ったのは、音楽とは何かを表現したものである、ということだった。当時ピアノを始めたばかりの僕は、英雄ポロネーズを知ったことを境に、日々の練習に夢を持って取り組むようになった。この曲を弾けるような技術を持ちたい。音という言葉を身につけたい。


 1980年代になって世の中にCD(コンパクトディスク)が登場し、僕が中学生になった頃には父の自慢のステレオセットにもCDのプレーヤーデッキが加わった。日頃の会話があまりない僕と父との間で、クラシック音楽は唯一の語らいの場であり、この扱いやすい媒体はその共通の趣味を加速させた。二人はカタログの中からCDを選び、僕は父が選んだものも含めてCDを全て聴いた。どうせクラスメイト達とも楽しく遊べない僕は、家に帰るとすぐこのステレオセットでCDを聴くのが日課になった。父はむしろ僕がピアノを練習する姿を好んでいるのを僕は知っていて、父が帰宅するとすぐピアノの練習に移るため、ということもあった。


 ヴィヴァルディの四季がCD達の中に加わったのは、少し後になってのことだ。父は自分の論文を吹き込んだテープの製作にあたり、気取ったことにバック・グラウンド・ミュージックに四季を入れたいと言い出した。そしてあろうことか、そのためだけに4枚もの四季のCD盤を買い込んだ。父は人並みの収入があることを鼻にかけるくらいだったが、いくら入れ込んでいる趣味と言っても明らかにそれは過剰な投資であって、母の反感を買うことは必至だった。4枚の盤のことは、父と僕の内緒事──後にも先にもこのような内緒事はなかった──となり、僕はそこに友情を感じた。


 父はその4枚の中から一つだけを選ぶように、つまり僕に選曲を依頼してきた。ひとつはカラヤン、ひとつはウィーンフィル、あとの2枚のアーティストは記憶していない。僕は友情からその仕事に取り組んだ。


 一流演奏の聴き比べ。クラシック音楽の贅沢な愉しみ方だ。他のジャンルではなかなかこうはいかない。4枚の盤はそれぞれの特徴をかもしだし、確かに同じ曲をしてこうも違う演奏ができるものかと感心はさせられた。しかして、四季の聴き比べは、僕にとっていずれも満足のいかないものであった。


 違う。音色が違う。旋律の歌い方が違う。コンサートマスターとバックのバランスが違う。美しく添えられるはずのクラヴィコードが違うし、ほとんど聞こえない盤さえある。なにより、一番美しい音色が奏でられる必要があるトゥッティ(演奏者が同時に音階や同じ音を連続して演奏する部分)が揃わないのはいただけない。


 どうしてだろう。他の曲についてこんなに理解できるわけではないから、僕の耳が肥えてしまったということではない。僕の中に理想の「四季」のイメージがあって、それと聴いたものが一致しないだけなのかもしれない。仮にそうだとして、いつ四季を聴いたっていうんだ?いつ理想のイメージが出来上がるほどに、繰り返し聴いたっていうんだ?確かに四季の全曲を聴いたのはこの4枚のCDが初めてではないことを、旋律の記憶が証明している。


 僕はその記憶を自分の頭の中で探しつつ、同時に主がまだ帰ってこない父の部屋の中を探索した。どこかにあるはずだ。


 

「LIVE」 第八回

少々の考慮、といっても2,3分のものだ。ただ、中学生の指し手を眺めていると、こう指す一手、という場面ではさっさと指してしまう流れだったため、をいらは違和感を感じた。手が流れ始めると目が離せなくなる。そう感じてTさんの対局を軽くチェックしに行くと、Tさんの攻めは大きな駒得という戦果を挙げつつも一息ついて、駒不足ながらも超強豪氏が紛れを求めて反撃に出ている局面だった。こちらは長くなりそうだ。師匠の盤に戻る。

 

師匠は受けが強靭で、そのことに自信を持っている。相手の攻めが細いと見るや、その攻めを催促して受けに回り、そして切らしてしまう(相手の攻めの手がかりが無い状態に導く)という勝ち方をすることがある。相手のあらゆる攻撃手段を読み切る必要のある、高度な指し方だ。読み抜けがあった場合のリスクが大きいため、高段者にしかできない芸当だと思う。

 

師匠の銀打ちはそういう手なんだろう、とをいらは思った。中学生が飛車切り以下、単調に責めてしまえば、攻め駒の不足から、簡単に攻めが切れてしまうだろう、とも予測した。中学生はまだ考慮中だが、持ち時間が残りわずかとなった。そして、覚悟を決めたかのように飛車を切り、やがて小駒だけの攻めになりながらも、盲点とも思える場所に歩を垂らして手を渡した。中学生の指し手は早い。師匠の手が止まる。

 

かわしたはずの師匠の角が目標になっている。これを渡すようなことになれば中学生の攻め駒が増えて攻めが切れなくなるため、当然許すわけにいかない。師匠はあらためて角を捌きに出るが、中学生はまたも意外な手で応じる。えっ、という仕草がつい出てしまって、隠そうとしても控えめにするのが精一杯の師匠。師匠は1分ギリギリの時間で指し手を続けるが、中学生はもうほとんど時間を使わないばかりか、自信が徐々に指し手にこもりつつあるように見える。

 

そして、かねてから狙っていた手のように力をこめて、ついに遊んでいた金を活用する手を指した。先ほど師匠が放った銀に当てる手で、逆に師匠の攻めを催促し返す手。銀が攻めにいけば中学生の歩が切れ、その筋に歩が立って師匠の玉が寄せきられてしまう。「肉」をワザと切らせて、骨を絶ってしまう手だ。これだったのか。

 

中学生は先ほどの小考で、全部読み切ったのだ!師匠が読みで上をいかれてしまった。

 

しかしその後は師匠にも有効な手段が無く、中学生の穴熊玉は寄りそうにもなく、確実な攻め手も緩まない。やがて師匠の玉が詰み手順に入った。師匠は詰め将棋が得意だから、既に読みきっているはずだが、3手詰みの局面まで1分ずつギリギリまで使って指して、そこで投了された。

 

最後の数手は、読みとは別の作業を頭の中でやっているように、をいらの目に師匠はそう映った。

「焼かれたCD」 第三話

第三話「珠玉の名品」


「『オレ』が一番好きやったCDよ。」

クラシック音楽には興味が無いあの女、恵理子が思い出すようにそう言葉を添えながら、1枚のCDケースを手に持って、近づけて眺めた。『オレ』とは我(が)の強かった父が自分のことを指してよく言った言葉で、あの女は父のことをどこか可愛がり、どこかからかうようにそう呼んだ。見慣れないCDケースで、かつて実家には存在しなかったもののようだ。何のCDか、タイトルが読めるように、それとなく覗き込んでみる。

「一緒に買(こ)うたとき、えらい嬉しそうにしとったねえ。ウチは聴いても全然わからんやったばってん、『珠玉の名品』とか言うて。」


「あっ!」


 書いてある文字が読み取れて、思わず声が出た。イ・ムジチ合奏団の、ヴィヴァルディの「四季」。父は離婚してから、ついにこの一枚を手に入れていたのだった。かつて一時期、父と僕が探し求め、結局手に入らなかったものでもある。もし僕がこのとき冷静で居られたなら、『珠玉』なんて気取った父の言葉をも、またふふんと鼻で笑ってやったろう。

「やめろ!そいはお前のもんじゃなか!」

このCDがそれと判った瞬間から、僕の口と手とからだは、理性の支配からすっかり解き放たれていた。いきなり、あの女に掴みかかって、そのCDケースを奪おうとする僕。「きゃあっ!なんばすっとね!」とうろたえながらもケースを守るあの女。すぐさま走り寄ってそんな二人を引き離そうとする親戚のおじさん達。口元に当てたハンカチの奥からただただ目を丸くする参列のおばさん達。そして、いつの間にか後ろから羽交い絞めにされている僕。父とあの女の住む家の一室がなした式場は、一時騒然となった。


なぜあんなことを口走ったのか、どうしてあんなに取り乱した行動をとったのか。我に帰った僕は、それでも自分に対してさえ、言葉で説明できなかった。ただ、感情の赴くままそれを表現したわけで、あの女に対しての恨みがないわけでもなかったから、その時はあまり後悔はしなかった。しかしながら、この光景は、あの女と僕の仲違いぶりを多くの人たちに強烈にアピールした格好になった。隆志くん、とそれに続くよく聞き取れない声がこそこそと、あちらこちらから聞こえたため、日頃怒ることはおろか、か細い声しか出すことのない僕の意外な一面に、参列の面々が動揺しているのがわかった。そして、事情に疎い人たちがさらに誤解して噂話が広まるのだけが少し嫌だった。


 ともあれ、僕もあの女もすぐに落ち着いたことで、事態はすぐに収拾した。その「四季」のCDも納棺されて間もなく棺が閉じられ、棺は父の遺体とともに火葬場へと運ばれ、そして焼かれた。


 これが父の葬式当日の、トラブルの顛末なんだ。


 このトラブルから半年経って、僕が音響機器メーカーに就職して働きはじめた3ヶ月後、平成6年のあの女の殺人事件が発生した当時の僕は、母からの電話ですごく動揺したんだ。やがてかかってくるであろう警察からの電話が面倒であって、少し怖くさえあり、当時を振り返って後悔した。少なくとも僕が会社でうまくいっていないことも露見したりすると、頼る人の居ない母はさぞかしがっかりするだろう。とにかく厄介なことになった。

「うん。わかったばってん、もう関係なか。」

しかし母には悟られないように、そう伝えた。トラブルのことは、葬式に出席しなかった母には伝わっていないし、今日僕が東京に居ると知ってまずは安心したろうから、とりあえず母の不安の種を完全に払拭してやりたかった。九州ではニュースでも流れているとか言っていたが、僕はこちらではニュースで流れていないみたいと答え、そんなこんなでとりあえず、心配性の母との電話は無事に終わった。──



山形新幹線は、平成4年に山形まで開通、平成11年、つまり去年には新庄までの全線区間が開通完了した。沿線では駅やその周辺の再開発がすすみ、乗車率も目標値を確保しているようで、経済的にはそこそこ成功しているようだ。ただ、新幹線とは言っても、東北新幹線本線に合流するまでの福島~新庄間は在来線と同じ線路を走っていて、スピードも在来線特急とさほど変わらない。山形から先の新庄までの間は頻繁に停車するとも聞いている。


 あの平成6年の殺人事件から6年経った今年、平成12年。僕は山形新幹線のグリーン車中に居て、手にした1枚のCDケースをぼんやり眺めながら、母と電話した当時のことを、確かこんなことだったなと、しばし思い返した。山形を出てから約30分、温泉で有名な「かみのやま温泉」「赤湯」の2駅への停車を終え、これから「高畠」それから「米沢」の駅へと向かおうとしている。まだ、このグリーン車への乗客はほとんどない。車窓は、雪が所々に残って冬枯れたままの木々の生える山肌か、まだ手を加えられていない田畑ばかりの平地か、いずれにしても緑のあまり無い土色のどちらかの風景を映し出すばかりだ。


 僕の手元にあるCD、それはあの時焼かれたCDと同じ、ヴィヴァルディの「四季」。もちろん、同じイ・ムジチ合奏団のもの。ケースを開け、まず目に飛び込んできたワインレッドのレーベルから目を背けて、付録の薄い冊子──これを読むのは初めてだが、おそらくは解説が書いてある──をぱさりと取り出して開いてみた。

「LIVE」第七回

「30秒・・・40秒・・・50秒1,2,3・・・」


開始から1時間をすっかり経過してしまい、早いところはもう秒読みが始まっている。アナログ式の対局時計の長針が12時を指して持ち時間が切れたことを示してから、記録係の声による1分の秒読みが始まる、という流れだ。この「持ち時間が切れた」ことは、記録係ではなく、対局相手がチェックして指摘するきまりになっていて、本大会の特徴でもある。つまり、選手が「(相手の持ち時間が)切れましたので、秒読みをお願いします」と宣言し、記録係は対局時計でそれを確認してから秒読みを開始する、といった具合になる。


それによくよく見ていると、秒読みの管理も記録係に任されていて、あまり厳密でない。結構いいかげんなものだ、と思ったりもする。数秒程度の誤差はしょっちゅうだし、ひょっとしたら10秒単位の間違いもたまにあるかも知れないな。そういうミスがあっても、誰もチェックできないわけだし。


ちょっとしたことかも知れないが、他の大会では必要ない「相手の時間を気にする」という行為が求められたり、記録係に身を委ねている面があったり、選手は慣れていないとそういうところで精神的なスタミナを消耗してしまったりするのではないか、と想像させられる。こんなのでいいのだろうか。


話を本題に戻そう。


序盤に随分時間を使った超強豪氏もやがて秒読みに入った。そして局面は。あら、身動きが取れていなかったTさんの攻撃陣、いつの間にか角が捌けて活が入っていて、超強豪氏の穴熊陣に食い込んだ飛車先の歩のさらに先から、桂馬が1発2発と打ち込まれていく。対するTさんの守備陣はまだ持ちこたえていて、飛車の打ち込みもなければ、さして大きな傷も欠陥もない。


崩壊だ。超強豪氏が描いた必勝のシナリオの崩壊だ。誤算があったのだろうか。とにかく「事件」の瞬間はとうに過ぎ去ったあとらしい。


1分たっぷりに秒読みの時間を使い、恐らくの最善の受けを施す超強豪氏。紛れを求めて繰り出される判断の難しい手にも、襲い掛かるTさんの指は正確さを失わない。氏の穴熊の玉はもろくも露出し、続けて守備の金銀が次々とはがされて、駒損も余儀なくされる場面もある。をいらの目から見て、大差で、逆転の余地も薄い。


思い出したように、やや急ぎ足で師匠の盤に戻ると、こちらも局面が険しさを増していた。中学生は踏みとどまって師匠の桂馬を捌かせず、玉頭方面での戦いで互角の押し合いを演じ、銀の交換を果たしていた。中学生が攻めに使おうとした金が宙に浮いていて、それは攻めにも受けにも利きそうにないやや中途半端な位置であって、しかし欠点といったらそれくらいだろうか。中学生の飛車が大転換して玉頭方面の攻めに参加してきて、をいらが師匠の立場だったらかなり気持ちの悪い格好だ。持ち時間は師匠の方が先に切れ、秒読みが始まった。


師匠は強気に攻めることで、相手に攻め合いを誘っていく。相手の金が遊んでいるうちに、という算段なのだろう。師匠の銀が、相手の飛車と、穴熊の急所である守備の銀頭と両方に利かせた位置に放たれ、その急所にはすでに歩も突き刺さっている。中学生は飛車を切るしかないと思われる状況で、しかしまだ残されている持ち時間を少々消費し、考慮に沈んだ。