月下の調べ♪のステージ -8ページ目

旅に出ます。

筆者兼当ブログ管理人、月下の調べ♪は4/23早朝~25夜にかけて、山形県天童市「人間将棋」観戦旅行のため不在となります。よって、記事の更新、コメントレス、お得意様訪問等できませんのでご了承ください。

 

かわりに、と言ってはなんですが、当ブログ初のイベントを開催します。

 

お題は、「焼かれたCD 曲名当てクイズ」!当ブログに第二話まで連載されています小説「焼かれたCD」を読んで、第二話の最後に出てくる「あの一枚のCD」に収録されている曲を当ててください。解答は、本記事のコメント欄にお願いします。正解発表は第三話掲載時に行います。 

 

正解者には、月下の調べ♪より、ご希望のテーマや題材に沿った1000字程度の小説またはエッセー作品をプレゼントいたします。プレゼントですから、あなたのブログ、HP等でご自由に利用されて結構です。なお正解者複数の場合は、一番早く答えた方とさせてください。 

 

曲名、といっても漠然としていますな。そうですね。ヒントを出しましょう。

 

・誰でも知っているような、メジャーなクラシックの名曲です。

 

・「焼かれたCD」の本編には、まだこの曲の作曲者は出てきていません。

 

・ピアノ曲ではありません。 

 

ではでは皆さん、よい週末を~♪ 

 

渡辺明竜王のページ、紹介いたします。

 

 

 

 

「焼かれたCD」 第二話

第二話「同棺された品々」

 

警察からの話として、母からその時聞いたことを総合するとこうだ。

 

あの女が殺された時間帯はゆうべの真夜中0時前後。殺害現場は自宅(一戸建て)の一階台所。出歯包丁のようなものによる刺殺。物音に気付いたのか、恵理子の娘が現場で動かぬ母親を発見して、あまりに大声で泣き叫んでいたので、不審に思った近所の方が様子を窺って事件が発覚。特に物盗りの形跡なし。大体そんなところ。

 

 

いかにも怨恨殺人っぽいじゃないか。ますます厄介だ。

 

 

厄介とは、僕に嫌疑がかかるのではないか、ということなんだよ。そのうち僕のところにも警察から電話がかかってきたり、アリバイがはっきりしていなかったら出頭しろなんてことになりかねない。運悪く、昨日と今日は会社に行きたくなくって、休暇でずっと部屋で過ごしていたもんだから、他の知り合いと全く会っていない。いくら今東京に居るとはいえ、これって厳密には僕のアリバイがないことになるんだろ?苦労して就職できたばかりなんだし、もし会社に悪い印象をもたれて、末はクビなんてことになったら、世は就職難がはじまったというじゃないか、勘弁してくれよ。

 

さらに悪いことに、動機ととられかねないトラブルを僕は起こしてしまっていた。父が死んだときの、葬式当日での出来事にさかのぼるんだ。つまりこういうことだ。

 

あの女、恵理子は父の後妻で、今は立花恵理子となっている。もはや「享年」というのかな、確か32歳になっている。彼女が28歳のとき父の子供を身篭っていることが発覚。父と母の間にはこの前からあの女のことでいさかいが続いていたが、父はこれを契機に母と離婚し、恵理子とすぐさま再婚した。子供は翌年女の子として産まれ、もう3歳になっているが、僕は一緒に暮らしていないのでこの子のことはよく知らない。妹、という実感もない。ただこの子にとってみれば早くに両親を亡くしたということになり、かわいそうな気もする。

 

僕の父、立花康志が亡くなったのはつい半年前。暮れが押し詰まった平成5年の12月のことだ。葬式が行われたのも旧年中で、大学の卒業研究の重要な実験スケジュールを邪魔されて迷惑したことを覚えている。そうでなくても、8ヶ月に渡る父の闘病生活には、入院先であるがんセンターとたまたま同じ福岡に住んでいたということで、介護にかなりの労力を提供させられたのだ。

 

実家から通うにはちょっと遠い福岡の芸工大には、僕はキャンパスの近くで一人暮らしをしながら通っていた。父と母の離婚調停の際に慰謝料の条件には含められなかったことだが、僕が3年生を終えるまで父のほうから仕送りは続けられた。仕送りは親として当然のことだと思っていただけに、4年生のときは父の看病と卒業研究、そして父の入院と同時にカットされた仕送りを補うためのバイトと、慣れないことが一気に押し寄せてきて、僕は正直へとへとになった。少なくともそれまでのように自由に遊べなくなったし、たまに徹夜も交えながらの日々は、当時21歳の僕にも体力的に厳しかったし、なにより精神的にも救われるものが何も無くて辛かった。

 

 父の臨終のときはさすがにちょっと感慨深いものがあったけど、通夜や葬式のときは、やっと終わった、楽になれる、こいつらと付き合うのもこれで最後だ、つまりやれやれという感じで、悲しい気持ちはもはやこみ上げてこなかったんだ。弔問には父の縁故の方々や講師時代の同僚の先生方や教え子さんたち、お世話になったと言う父の患者さんたちやら、とにかく大勢訪れた。お参りを済ませた方達は、喪主のあの女と一応形だけは並んで座った僕に、それぞれの慰めの言葉をかけ、涙ながらに昔話をはじめるおばさんや、果ては隆志くんかわいそうにとおいおいと声をあげて泣き出すおじさんまでいたりした。しかし事情をいまさらこの場で説明するわけにもいかないし、僕はかえって気の毒なくらいで、返す言葉と表情にえらく困ったものだ。

 

 正座が苦手なこともあっての長く辛い時間帯もやっと終わり、ついに納棺のときがきた。納棺の時には故人が生前大切にしていたものを同棺してあげるものだが、僕が入れてあげるものは何も無かった。父は離婚のとき、いわゆる自分のものはいっさいがっさいを全て僕の実家から持ち出していった。置いていったものといえば、離婚調停の条件となった実家の一軒家以外には、新居で置き場に困りそうなピアノくらいのもの。愛用のステレオセット、仏壇から、使いもしない将棋盤と駒、もはや読めない美術写真集に至るまで、つまり価値が認められるものはほとんど全て、これはオレが買ったものだからと言わんばかりに無くなっていた。だからこの時は、何か入れてあげたい気持ちがたとえあっても、僕の手元には何もなかったんだ。その務めは、あの女が受け持った。

 

愛読書や書きかけの論文と思われる点字の書類に続いて、入れようとされた治療器具は金属製で焼却できないと葬儀社の方からストップがかかった。それではと、線の部分に樹脂を盛ってある特注の脚付き三寸の将棋盤や、金属の点が打ってあるこれも特注の将棋駒が入れられようとしたが、将棋盤は大きすぎるからとまたもストップがかかり、駒だけが入れられた。あの女の非常識さをさらけ出したみたいでザマ見ろという気持ちと、父は将棋をしばらくやっていないはずで、そんなことも知らないのかという優越感から、僕はあの女をふふんと笑ってやった。そしてやはり、続いて出てきた僕にとっても懐かしいもの。それはクラシックのCD達だった。

 

ベートーヴェンは父が選んだもので、交響曲とピアノソナタの2枚。モーツアルトの弦楽四重奏。中村紘子のピアノも父の好み。ホロヴイッツの鋭くて豪快なショパン、多重旋律が豊かに重なり合うグールドのバッハ、これらのピアノ曲集は僕と一緒に選んだものだ。いずれも僕は、実家にいた高校生までの間にそれらを充分何度も聴いていて、しかしまるで幸運の連続だったように銘盤ばかりでちょっと未練もあったけど、まあ仕方ないかと棺にそれらが納められるのをただ見守った。

 

つまり、ここまでは僕は冷静でいられたんだ。次に出てきたあの一枚のCDを目にするまでは。

 

「LIVE」第六回

師匠。

 

 

観戦自由とはいえ、将棋関係者でもない、棋力もない、何かを得ようと勉強しにきたわけでもなければ、取材しにきたわけでもない(当日の立場はそうだった)。そんなをいらが気兼ねなくこの全国大会の対局を間近で、LIVE(ライブ、生)で観られるのは、唯一師匠の応援という名目があるからだ。ネット上での将棋サークルの友人が幸運にもこの方と対局する機会を得て、局後の感想戦で一緒にお話した(つまり我々側が束になって質問攻めにした)のが知り合ったきっかけだ。どこまでも緻密な指し手順に感銘し、その時以来この方を「師匠」と呼ぶようになったわけであり、それは間もなく師匠がをいらより年下であることが判明してもずっと変わらない。大会で上京される機会があったときに歓迎会と称してオフの飲み会を開いたのだが、その時師匠の地元にお誘いいただいたこともあって交流が深まり、現在に至るのである。

 

前回、初めて観戦の了解をいただいた別の全国大会でのときには、考慮中にふっふっ、と鼻をならす癖が出たり、小ミスをしたら「あちゃー」と小声で漏らしてしまったり、対局相手の疑問手を見てはえっ、と明らかに判るように驚いて見せたり、とにかくもっとのびのびと指しているように、をいらの目には映った。会場の雰囲気も、少なくとも予選では、そんなにピリピリしていなかったことも影響していたかもしれない。

 

 

今回はちょっと違う。

 

上記のような癖が出ないのは、それだけならいい意味で緊張しているとも取れる。しかし、本当に集中して読みを入れているときの、前かがみになりながら、右手のこぶしをテーブルの上で握り締めてリキむ、その癖も表れていなかった。作戦勝ち程度、とはいえやや優勢だから安心しているのだろう、とをいらも楽観していた。

 

中学生もさすがに地方代表。このままリードを許してしまってはまずいと動きを見せた。本来は守備に使いたいところの左側の金を攻めに繰り出し、穴熊の上部方面の縦の攻め合いに持ち込もうと反発を狙ってきた。角もひとつ引いて筋を変え、照準を合わせたそのとき、師匠が動いた。歩の突き捨てを2,3入れて、軽く、しかし切れない、理想的な攻め。玉の堅さも師匠のほうが上だし、攻めに桂馬が参加しつつあるのも好材料だ。まだまだ変化は複雑だが、やがてはっきり中学生のほうが苦しくなるに違いない。きっとそうだ。

 

 

おっとしばらくこちらばかり見入ってしまったな。Tさんと超強豪氏の対局はどうなったかな。気になる他の対局の行方も軽くチェックしつつ、をいらは観戦場所を移した。

「焼かれたCD」 第一話

第一話「母からの電話」

 

 

3月の末頃、さすがに雪は道端からも無くなってしまった。こちらに来た当初は苦手だった寒さにはもうだいぶ慣れ、春もそこまできてはいるのだが、しかしまだコートは手放せない。東京のほうは桜がつぼみはじめているんだろうな。そんな地域間の時差を感じながら、僕はJR山形駅から上りの新幹線「つばさ」に乗り込んだ。新庄発の列車なので自由席に不安があったのは確かだが、普通指定席でなくあえてグリーン車にしてみたのはワケがあったんだ。やっぱり。左右に1列と2列に別れた座席は、予想通り空いていて、僕の背骨と後頭部を柔らかく受け止めてくれた。誰の目も気にしなくてよいので、白のスウェットにジーパン姿の、この車両に場違いな僕(立花隆志、28歳)が居ることさえ、遠慮の対象にならない。さらに運がいいことに、2列の座席の窓際という、通路からの死角のスペースを手に入れることができた。

 

 

──これなら、自分だけの世界に浸ることができる。──

 

 

トランクを開けて、いちおう詰め込んでおいた2冊の小説を掻き分けて、まっさきにヘッドホンステレオとCDケースを取り出す。CDケースを表に向けて、しかしそれを開けようとした手が止まった。到着までは3時間半とゆっくりある。少し思い出に耽ってみることができるのも、僕が手に入れた世界のひとつなんだな。そう言えば、あの事件からもう6年も経つのか。

 

 

あっという間のような気もするけど、まったくの過去の出来事。

 

 

 

就職してから3ヶ月ほど経ったある日。希望しての福岡での販売実習も終えて、本格的に東京での生活をワンルームマンションでスタートした頃だった。母から電話があった。

「隆志、あんたおったね。」

語尾にため息が聞こえた。いつもの、「元気しとんね?」じゃないこともあって、また何か心配事ができたのかと思った。

「どがんしたと?」

「あの女が、殺されたと。」

殺されただって!?あの女、名前は言われなくともわかっている。

「恵理子さ。寺井恵理子。今日警察から電話があったとよ。」

寺井、というのはあの女の旧姓だけど、このほうがわかりやすいし、母の気持ちもわかる。そんなことより、驚きのあとから押し寄せてきた、厄介なことになったという想いが僕の頭の中を占領してしまった。どうしよう。どこまで迷惑な女なのだという呆れもあったが、むしろこれからのほうが心配だった。

「LIVE」第五回

選手の誰かが席を立った。比較的持ち時間も充分あるし、途中で席を立つのはよくあることだが、このときは明らかに異常だった。それを契機に席立ち現象が次々に連鎖し、会場全体に一気に広がったのだ。手番を握った側の選手が考慮中に「失礼します」と席を立って会場の外へと退避する。トイレなのか、ロビーでの休憩なのか。手番でないもう一方の選手もそれを確認してから席を立ち、気になっていた他の対局の観戦に廻ったりする。こんな重要な対局なのにそんな余裕があるものなのかと、最初は目を疑ったが、全く逆であったことがすぐにわかった。

 

をいらは、ある選手が立ち上がる瞬間を幸運にも目の当たりにすることができた。やや顔色の悪くなったその選手が、たまりかねたようにその「ひと息」宣言を搾り出す瞬間を。この人たちは苦しいのだ。その対局の重みに押しつぶされそうな自己と、同じようにそうである32人の選手が創り出す会場全体の雰囲気ゆえに、体が欲しているだけの酸素を充分取り込めなくなっていたのだ。「ひと息」つけば楽になる。対局の重要さゆえに、むしろ余裕がないがために、忘れていたそのことにはっと全員が気がついての現象だったのだ。

 

確かに局面は、序盤の駒組みのピークを迎えつつあるところが多い時間帯であった。お互いが得意戦形を狙う中で、互角と思われる局面もあれば、一方の主張だけが存分に通る、いわゆる作戦勝ちになりつつある局面もあった。動く椅子の音々でややリフレッシュした会場は、しかし息をついたのは一時のことで、また全体がそれぞれの将棋へと沈んでいった。当然ながら、誰もこの訪れたばかりの難所という現実から逃げることは許されないのだ。

 

師匠の対局も、駒はまだぶつかってはいないが、優劣がつき始めていた。相手の中学生の四間飛車穴熊という作戦は、ボクシングでいうところのカウンター狙いという要素が多い作戦だが、それゆえに自分からは積極的に動きにくい。師匠はそれを見据えて、既に築いた銀冠の手厚い陣形を、さらに銀冠穴熊へと進展させ、それが完了すると厚みを活かしての勢力圏の拡大をも図った。さすが師匠、格の違いを早くも見せつけた。明らかに作戦勝ちだ。あとは絶好のタイミングを見計らって仕掛け、ミスのないように指せば自然と勝利が訪れるだろう。予想していたとおり、中学生なんかに負けるわけがない。

 

Tさんと超強豪氏の対局にも並行して目を配る。Tさんは三間飛車で立ち向かっていたが、超強豪氏にはこれに相性がいいと言われている矢倉の陣形を築きあげられ、少しポイントを稼がれているように見えた。進行を眺めていると、超強豪氏がさらに工夫をみせ、銀を4段目から5段目へと繰り出した。氏独特の柔軟な指しまわしはいつもファンを魅了してやまないが、このときの作戦は、この繰り出された銀で相手三間飛車の攻めの陣形の動きを封じるという、ユニークなものだった。4手目の長考で構築されたシナリオが明らかになり、しかしTさんはどうにもすることができない様子で、残された玉周辺の整備の作業を進めたが、さほど効果がないようにもをいらの目には映った。氏はそういうTさんを一手一手慎重に確認しながらも、矢倉をさらに穴熊に進展させるという容赦のない手段をとった。時間をおいて再度観にくると、氏の満を持した攻めが始まっていて、おそらくは切れそうにない。こちらもまた、勝負の行方が見えたかのように思えた。

 

この2局だけではない。慎重、かつ貪欲というのが、見渡す限り各盤面の前半戦の共通キーワードであった。──逆転の余地だけでない。相手の実力、いやその一途な気持ちさえも殺そうとしている──優勢に立った側の、姿を見せたばかりのフェアな殺気は、この将棋というミスを犯しやすく、非常に逆転しやすいゲームにおいて、絶対負けられないのだという強い強い意思から来るのであろうと、をいらは想像した。いや、スポーツマンシップも、武士道も存在しない盤上において、フェアという表現はただルールに則っているという形式的なものしか表しておらず、適切でないのかもしれない。

「ステイゴールド 永遠の黄金」

たまのお部屋で連載しておりました「ステイゴールド女」 完結。ご愛読いただきました方ありがとうございました。今日は参考としました文献を紹介いたします。

流星社刊「ステイゴールド 永遠の黄金」


永遠の黄金表紙


関係者のコメントやインタビュー、当馬の生い立ちのエピソード、数々の写真。

拙小説はファンの視点からのアプローチだが、

この本からは関係者からダイレクトにこの馬の「不思議さ」を覗き見ることができる。

特に注目なのは、熊沢、武両騎手のコメント。お二人のこの馬への思い入れが明らかになっている。

当時のステイゴールドファンには必見の内容に仕上がっているが、

むしろ、いまだにこの馬のことを「イマイチ」だと思っている方にこそ読んで欲しい。

そして、この馬の伝説は、もしかしたらまだ始まったばかりなのかもしれない。

発売直後に買ったはずのものが無くなり、今年に入って再度購入した。

あらためて読んで、引退後2年半経った今でも、心揺さぶられることを実感している。

P.S.

同じ池江厩舎のディープインパクト、応援しています。

「LIVE」第四回

序盤。

 

 

全国大会に限らない、不思議な現象がそこにもみられる。ペース。

 

開始間もなく、対局者は2人だけの世界を創り上げる。指し手は言葉であり、2人は確かに会話をしているのだ。

 

師匠と無名中学生の会話の進行は比較的早かった。中学生はわが道を行きますよと、四間飛車の構えから、師匠が仕掛けてくる様子がないことだけを確認して、穴熊に潜る。師匠にとっても慣れた道。いつもの角筋を止めない銀冠に構える。銀冠自体は対穴熊のよくある有力戦法だが、角筋を止めないのは工夫で、まだ真の狙いは秘めたままだ。

 

一方のTさんvs超強豪氏。2手目、3手目とゆっくりだったのだが、そこで指し手がもうぴたりと止まった。Tさんが明らかにした振り飛車模様の3手目に対し、超強豪氏が早くも長考に沈んだのだ。そうきましたか、と。

 

この超強豪氏、数ヶ月前にインターネット上で師匠と対戦している。師匠は独自の作戦で挑んだのだが、見事に逆手にとられた格好で完敗。超強豪氏が、実は師匠の棋譜を事前に山ほど集めていたという情報を、後になってをいらは掴んだ。超強豪氏がそうである所以の、少なくとも一つであろう。

 

Tさんに対しても、事前に綿密に研究してきているに違いない。そしてこの4手目を控えたこの局面、明らかに読んでいるのではない。思い出し、また描いている、そして構築しているのだ。きっとそうだと、その光景を見ながらをいらは思った。思い出しているは、Tさんの過去の対局と得意戦形。描いているのは、それと重ね合わせた理想形。構築しているのは、シナリオだ。

 

 

4手目が指され、氏が選んだ作戦は相振り飛車だった。お互いの意図を汲みあいつつ、その後もゆっくりと指し手が進んだ。飽和点はまだまだ遠く、他の盤面ではもう闘いが始まろうとしているところもあった。対局開始後、30分が経とうとしていた。氏はどんなシナリオを用意しているだろうと、興味深く思って眺めているときであった。異常とも思える現象が、会場全体に広がり始めたのだ。

「LIVE」第三回

駒並べは対局前の儀式だ。その一局を大切に指すという姿勢がそこに表れるのはどの盤面も同じように見えたが、並べ終わるスピードは様々で、特に師匠のそれはゆっくりだった。記録係が振り駒で先後を決め終わった盤から順次対局がはじまった。学校やスポーツの場だと避難を浴びそうなほどか細い声で「お願いします」の一礼が対局両者同時に行わる。記録係は指し手の度に対局時計をばちと押し、さらさらと記録用紙にその符号を残していく。

 

をいらは、会場に掲示されているトーナメント表をあらためて確認した。をいらの主観で言うと、東北の古豪氏、超高校級の生徒、無名の中学生、アマ棋界の両巨頭。注目している対局がいくつかあったが、その中でも特に気になるのは2局。 

 

ひとつはもちろん師匠の対局、相手は上記の無名中学生だ。もうひとつは、師匠の学生時代からの親友かつライバルであるTさんの対局であった。をいらはTさんを見るのが初めてだったが、師匠の随筆の一部でTさんへの思い入れを綴った文章を拝見したことがある。そこには、全国大会の決勝の場で闘いたい相手として、当時全国タイトルを持っていたTさんの名前が出てきていた。誰もが認める強豪のお二人だが、しかし、全国大会にそろって出場できるケースはあまりない。 

 

二人の決勝戦が実現したら、どんなにかドラマティックだろう。

 

二人はトーナメントの別々のヤマで、万一両者とも4連勝すれば、その夢が実現する。しかしすんなり勝ちあがれるほど現実は甘くないし、をいらは、こういう期待されたドラマは裏切られるものだということを知っていた。師匠のブロックにはこの大会の過去の優勝経験者がいて2回戦はこの方と当たるだろうし、Tさんの1回戦の相手は、アマチュア棋界のスーパースターである超強豪氏、先記主観でいうところの「アマ棋界の両巨頭」の1人である。期待したドラマとは裏腹に、をいらは師匠勝ち、Tさん負けと予想した。

「LIVE」第二回

サンドイッチをほおばって、すぐに師匠の後をおい、会場に入る。もうそろそろ定刻だが、選手が席には着いているものの、始まる気配がない。会場の、ステージの反対側で、運営の担当のおっさんが少年少女を集め、説明を始めた。胸章から関係者と記録係たちだとわかった。聞き耳をたてていると、記録係が秒読みをするらしいことがわかった。

 

将棋盤の脇にある対局時計に目が行く。音の出ないアナログ式だ。前回観にきた大会では、デジタル式のものを対局者が叩いた。同じ全国大会でも、こんなにシステムが違うものかと、そのときは興味深く思った。

 

運営のおっさんがステージにあがり、説明を開始した。ルール、持ち時間、スケジュール。形式ばった説明が、すでに緊張している会場の雰囲気にマッチしていた。いちいちうなずくものは誰一人としていない。棋譜の記録が取られ、対局時計は記録係が押すのだという。1局の待遇が違う。

 

 

2勝し、ベスト8に残ることが選手たちにとって大きな意味をもっている。プロ棋戦に参加できるからだ。事前に選手たちの抱負が公開されており、実際それを目標にする記載が多かった。2日目よりも、1日目、つまり今日のほうが重要なのではないかとをいらは想像した。

 

 

1回戦。

 

 

これからはじまる将棋は、以前の大会で観たその緒戦と違って、「感触を掴む」という余地が許されない。夢を実現するには、相手の夢または思い入れを踏み越えていかねばならない。相手の顔をちらりとも見ようとせず、ただうつむいたままの選手たち。それぞれが集中力を高めようとしているのだろうと、そのときは思った。

 

「LIVE」第一回

浜松町。

 

 

この、東京駅からも、羽田空港からもアクセスのよい湾岸の町は、アマチュア将棋の全国大会のメッカでもある。

 

をいらはその日の朝、遅刻しないギリギリの時間に家を出て、狙いすました開会10分前という時刻にJR浜松町駅に到着した。

 

土曜日の朝方、整備された歩道には人はまばらで、急ぎ足なのはをいら一人だけだ。そう、をいら一人。

 

 

2度目なので、会場への道のりはもう迷うことがない。前回の他棋戦の観戦の日は、各県の代表が勢ぞろいして人数も多く、観戦に男性プロや女流プロが来ていて、活気があった。小学生で県代表になった天才少年や、招待外国人の参加もあり、話題性に富んでいて華やかだった。今思うと、しかしそれらの飾りはまやかしだったのかもしれない。

 

 

今回は32名のトーナメント。この土曜日にベスト8までの3回戦、日曜日に準決勝以降の2回戦が行われる。つまり、本日敗れた選手は、その時点で自分の椅子を失うわけだ。

 

 

師匠とばったり会った。会場手前のコンビニでのことだ。

 

「あ、どうも」「どうも」

 

をいらは、まだ済ませていない朝食を買い、師匠は飲み物だけを購入した。一緒に会場のあるホテルへ向かう途中、「今日は対局中に寝てしまうかもしれません。」とおっしゃった。

 

「えっ?なんでですか?」

 

まさか、の意味で聞き返した。昨日は夜勤明けで上京し、東京支社にも寄らなくてはならなくて、睡眠不足。たしかこういう経緯だった。それでもをいらは、不安は覚えなかった。