月下の調べ♪のステージ -2ページ目

「ステイゴールド女」 第三話

第三話「いつか」

‘99年になり、長期放牧もなく2月の京都記念からステイゴールドは始動。この年は実に11戦をこなすハードスケジュール振りであった。間隔がちょうど月一回程度ということもあり、二人のデートもぴったりこれに合わせて重ねられた。いつしかステイのレースに照準を合わせるようになっていたのは暗黙の了解である。

この年前半のステイのレースは、その出走振りでタフさをアピールする一方で、荒れた内容であった。京都記念(GⅡ)で出負け、他馬との接触もあり7着。日経賞(GⅡ)も出遅れがたたり3着。春の天皇賞(GⅠ)でまたも接触があり5着。その後宝塚記念の前までになんと中二戦もして連続3着であった。頻繁に見せる出遅れ、必死の追い出しに対する反応の鈍さ、そして直線コースでたびたび見せる斜行。主戦の熊沢騎手はこの馬を手に負えないでいるようにファンの目には映ったが、不思議と誰も彼を責めようとするものはいなかった。

マチコは複勝を毎回のように購入してはたびたび的中させるのだが、なぜかこの時期は機嫌がよくなかった。

「ちょっともう、休ませてあげようよ~。」

ショータが勇気を出したタイミングは絶妙かに見えた。そんなマチコをなだめるべく、

「大丈夫ですよ、ステイあんなに元気だし。」

そう言いながら、右腕をマチコの背後から奥の肩のほうへと伸ばす。

「またやってくれますって・・・」

その手が目的地点へ到達しそうなまさにその時、彼女はバン!と立ち上がり、知ってか知らずか、ちょうどその腕を跳ね飛ばす形になった。

「もう帰るよっ!」

きっ、と睨んだその視線に、下心の後ろめたさもあって、けして太くはないショータの勇気は力もなく萎縮してしまった。彼は当分手を出せそうにない・・・。

マチコの機嫌が晴れたのは、宝塚記念(GⅠ)のとき。レースは直線でまぶしいばかりの豪脚を披露したグラスワンダー、敗れたとはいえ他馬とは圧倒的な差を見せつけたスペシャルウィーク、この両スターホースに次いで、7馬身離されながらもステイゴールドは3着にすべりこんだ。

「やっと休めるね~」

この日は二人とも馬券が当たり、帰り路は途中の焼肉店へ。相変わらずの彼女の食べっぷりには舌を巻いたが、ショータにとっては彼女の笑顔を正面から満喫できたひとときだった。この状況に満足しそうになっている自分に気付き、ショータはつい、いましめの言葉を発してしまう。

「ステイ、このままじゃいけませんよね、勝たないと。」

「ウフフ、そう思う?勝てるかな・・・?あっさり勝っちゃうと面白くなくない?」

「いつかきますよ。きっと。いつかね。」

言葉では「いつか」と言ったが、こんなに使い込まれて、もう5歳のステイは結果を出せないまま今年中に引退してしまうのではないか。そんな不安が自分の胸の中で大きくなっていたことに、ショータははじめて気がついた。

GⅠでこんなに好走する馬なのに、重賞のひとつも勝てずにいる。しかしそんな「イマイチ君」のまま終わってもらっては困る理由が2つ、ショータの胸の中にあった。ステイの引退は、今はまだ見えない、しかし遠くない将来にやって来るであろう彼女との楽しいステイ観戦の日々の終わりでもある。それはそのまま、観戦デートの終焉ではないかという気がしているのがひとつの理由、はっきりした根拠はない。そしてまた、ステイゴールドが勝つとき、「その時」こそが彼女に想いを打ち明けて、願いを果たす絶好のチャンスだと、ショータは男の本能でそう感じているのがもうひとつの理由だった。

ともあれ、「その時」は、少なくとも秋以降におあずけである。

「ステイゴールド女」 第二話

第二話「府中競馬場」

それからというもの、ショータには毎月のように「おトモ」の指示が下った。彼はただついていく、もちろん一度も断ることなく。隣を並んで歩くことはかなっても、手を握りにいくシチュエーションにはまだとても持ち込めない。貯めこむしかなかった口座に手をつけて服を上下買い揃えなおし、朝ブローもキチンとやるようになった彼だが、その努力の成果が表れる日は来るのだろうか。

マチコの「主戦場」は府中競馬場か、立川ウインズだったが、どちらかといえば前者のほうが多かった。というよりむしろ、特に問題がなければ開催が無くとも府中競馬場のほうを選ぶとのこと。理由は2回目のデートで早くもわかった。

「ショータ、第六レース当たったでしょ、焼きそば買ってきなよ。」

指示通りとはいえわざわざ、遠くの第1コーナー側の売店まで行く。最初はその真意もわからず、自分の分も含めて「やきそば二つ、ショーガ抜きで」と注文した。すると普通盛りのはずなのに出てきた量がすごい!両方の手にそれぞれ皿を乗せ、こぼさぬよう持ち帰るのは難儀で、帰りは行きの倍の時間がかかった。

「あら、2つ買ってきたの、大丈夫?ふふふ。」

彼女が心配したのは、持ち帰りの大変さへの気遣いではない。彼女はいとも簡単にその一皿を平らげたが、ショータは食べてみて実感、とても軽食といえる量ではなかった。食に関しては健全な彼も、なんとか7割を詰め込んだところでギブアップ。午前中、彼女のペースにあわせてジャンクフードをつまんでいたのがアダになった。そう、マチコはその小柄な体に反して、とんでもない大食女だったのだ。座り込んで食べながらの観戦となると、たしかにウインズ構内というわけにはいかないよな・・・。

 やがて秋が訪れ、その府中競馬場でGⅠが開催された。第一弾は天皇賞・秋。この日はデートに邪魔が入った。マチコの後輩ムツミ、サイレンススズカの大ファンだという。とにかくキャッキャとうるさい、ミーハーらしい。マチコいわく「ムツミ、とてもかわいいよ」とのことだったが、ショータにとってはふたりきりの時間を奪う乱暴者でしかなかった。

 本番のレースでは、単勝オッズ1.2倍と圧倒的一番人気のサイレンススズカが途中まで快調な大逃げを演じて見せたが、4コーナー手前で躓いたような仕草を見せると徐々にスローダウン。異変に気付き始めた場内は重低音で騒然となりはじめ、「ちょっとおかしくなった」のアナウンスとともに1オクターブ上の悲鳴が重なって、スタンドはいつもと違う大音響を奏でた。「えっ、何~、うそ~!」ムツミの金切り声をさすがのマチコも止められない。ターフビジョンが映し出す、壮絶な直線の叩きあいを観る者はいつもの半分しか居なかった。4コーナーはずれで武豊騎手が下馬したスズカが群集の視点のもうひとつの焦点だった。

「飛ばしとったから、予後不良やないか?」

無神経なオヤジの言葉が耳に入ったため、ムツミの暴走はもう止まらない。奇声をあげて泣きじゃくるムツミを二人で両側から支えてスタンド裏のベンチへ退避する。「大丈夫、だいじょうぶだからねっ!」サイレンススズカが死ぬことはないと、根拠をもたないはずのマチコが必死にそうなぐさめる。それがようやく効きはじめたのは、もう表彰式が始まった頃。レース結果を確認することなく、三人は競馬場をあとにした。そしてその夜遅くのスポーツニュースでは、スズカの薬殺処分の報が流れた。

 レースは7歳馬の伏兵オフサイドトラップが勝利していた。ステイゴールドはまたも2着だったが、大変な逸機であった。最後の直線で鋭く伸びたのも束の間、大きく斜行し内ラチにモタれてしまうという問題レースだった。これがなければ勝利していたのではとの声もあった。

宝塚記念のデータを加えたショータの事前の分析は、このハイペースになるであろうレースでは、たとえ距離が不向きでもステイゴールドが有力であることを教えていた。実際そのようになり、ショータの馬券はスズカからの流しであったためハズレとなったが、マチコの3たびの複勝はまたも的中していた。馬券の換金は一ヶ月後のジャパンカップ、そのときステイゴールドは着外に敗れるのだが、さらに一ヵ月後、年末の有馬記念ではグラスワンダー、メジロブライトに次ぐ3着と健闘、馬もマチコもきっちり借りを返すのだった。

スズカの悲劇の後、二人のデートを邪魔するものは二度と現れることはなかった。徐々にファッションにも感心を向け、時には冗談もいうようになったショータを横目に、ぴったりの相手とニラんだムツミを紹介するつもり、つまりいらぬ気遣いをしたのだということは、後にも先にも、マチコはオクビにも出すことはなかった。

 競馬界ではこの頃から、若者を中心にしたステイゴールド人気が巻き起こり始めた。「イマイチ君」。「善戦マン」。勝ちきれない悲しさをパロったものでしかなかったこれらの形容が、その魅力を表すものとして適切でないことが明らかになるのはしかし随分後のことである。ただ、ショータはその秘めたる能力の一端に早くも気付き始めただけでなく、「なかなか勝ちきれない」その様を自分にダブらせ、近いうちにくるであろう彼の勝利を期待するようになっていた。

「ステイゴールド女」 第一話

注)馬年齢は全て新表記(満年齢)に統一しています。


第一話「また2着」

「うっしし~。また取っちゃったよぉ。」

「うししってマチコさん、まさかステイゴールド買ってたの?」

「うんっ!複勝だけどね~。」

‘98年の宝塚記念(GⅠ)は、破竹の勢いで中距離重賞を連勝していたサイレンススズカが1番人気に応え、この日も得意の逃げをキメて勝利した。2着には猛然と追い込んだ9番人気のステイゴールド。2.8倍の単勝では物足りないと、スズカを軸に馬連でエアグルーヴとメジロブライトに流していたショータの買い目は結果1着3着、見事にこの穴馬に邪魔された格好でハズれていた。


このショータという男、自称理論派馬券師で、昨年は120%の回収率を誇った腕前の持ち主。このレースこそハズしたが、重賞レースばかりの馬券成績は今年もまだ勝ち越しである。22歳で中肉中背、社会人2年生だ。会社での評判はもっぱら「おとなしいコ」、悪く言えば典型的な「見た目、無気力な若者」だった。オシャレへの興味の無さも手伝って、彼女イナイ歴22年(本人は15年だと主張している)。しかし見た目の無気力さとは裏腹に実は凝り性で、高校生の頃に競馬ゲームにハマったのを皮切りにやがて本競馬の魅力に目覚めた。それ以来この熱を冷ますものは、去年就職してからすぐ上司にドヤされる日々が始まるまで何もなく、馬券を買いに行く機会が減っても重賞レースだけは毎週チェックしていた。好きな馬はトウカイテイオー。常識を覆した’93年有馬記念の走りに大泣きしたというから、実はロマンチストなのかもしれない。そうは言っても予想に関しては理系人間らしくドライで、表計算ソフトを駆使したペース分析という彼独自の秘密兵器が好成績を産み出していた。


「ステイゴールド、こいつはステイヤー(長距離適正の馬)ですよ。中距離のGⅠでくるわけがないんです。ほら前走の天皇賞のペースが・・・・。」

レース前に長々と講釈をタレていたショータの言葉が空しい。ただでさえGⅠ当日ということもあって、開催日でもない府中競馬場に多くの人が押し寄せてきている。そんななか、彼女はその資料付きの説明を一部始終しっかり「うんうん」と聞いてくれたというのに、彼女が買った馬券はその裏を行き、あろうことか的中してしまったのである。聞けば前々走の天皇賞・春(GⅠ)でも、10番人気のステイゴールドの複勝を当てたのだという。

「この馬、またGⅠで2着にくるよ、って、ビビッときたのね。」

「そんなぁ・・・。」

また2着って滅茶苦茶いうなよ、とは鋭い突っ込みだが続けての言葉として出せない。自信満々に披露した予想を台無しにされ、ショータはそのプライドを打ちひしがれていたからだ。しかも彼にとって記念すべき生涯初めてのデートの場において(このことは他の誰にも内緒である)。

マチコは彼の予想のことは全く気に留める様子もなく、ちょっと自慢げにニヤリとして、当たり馬券をヒラヒラさせながらこう切り出した。

「ほら、この馬券換えてきなさいよ。今日はあたしのオ・ゴ・リ。」

彼女がかもしだす存在感に圧倒され、もはやこの命令にショータは全く抵抗できなくなっていた。今日からショータはマチコの飼い犬、それが決定付けられた瞬間でもあった。

「はぁ・・・」うなだれたまま彼は、複勝馬券を受け取り、既に長くなっている換金所の行列の最後尾へトボトボと向かわされた。


マチコは今年25歳。ショータと同じ会社で庶務を勤めて8年めになるというから、もはやベテランだ。仕事ぶりもテキパキとしてて誰もから評判がいい。150cmそこそこと小柄で、体つきもほっそりとして目立たないが、持ち前の明るさとぱっちりとした目がかもし出す可愛らしさ、小粋なギャグセンス、そして楽しそうにしているときだけに見せる、カリスマ性と言ってもいいその存在感。彼女の魅力は、ショータには知れば知るほど光り輝いて見えるのだった。しかしオトコがいるというハナシは不思議と耳にしない。

ある日の昼休み、彼女が3つ向こうの部署のショータになぜか声をかけてきた。

「あたしねー、お馬さん好きなのよ。実は『オダギラー』なんだ、エヘヘ~。」

突然憧れの女性に声をかけられ、5秒間カタまるショータ。その隙に彼の手にある週刊の競馬雑誌をすっと奪い取り、易々とその真意を果たすマチコ。

「ふーん、またステイゴールド出るんだ。」

たまたま目に付いたページで今度のGⅠレースに興味を示す彼女に、心拍数が収まらないままショータが発してしまった言葉が、

「に、日曜日いきませんか?府中・・・。」

これが彼の初デートの経緯だった。

そう、ふたりはまだ付き合っているというわけではなかった。いや客観的にはっきり言ってしまえば、マチコはショータの手にはまだ遥か届かない、「近くて遠い」存在である。


「すっかりパシリだよもぅ。」

ショータは独り言をつぶやきながら換金所をあとにしたが、内心は幸せそのものだった。月に一度程度とはいえ、彼女の競馬観戦に、これからの、自分だけの役回りができたのだから。初デートの成果としては、彼にしては上々と言えた。

「しかし、何だヨこの馬は。重賞未勝利のクセに・・・。」

ショータは、去年デビューしてしばらく初勝利をあげられなかったこのステイゴールドという馬をまだよく知らなかった。そしてこの馬に秘められた「力」に、そして自分の中で芽生え始めたその馬への親近感にも、まだ気が付いていない。

「ステイゴールド女」 プロローグ

プロローグ ~ステイゴールド その戦跡とあらましについて~

馬名ステイゴールド、1994年北海道白老ファーム産。父サンデーサイレンス、母ゴールデンサッシュ(母の父ディクタス)。1996年12月競走馬デビュー、2001年12月引退、生涯成績50戦7勝。

この彼の紹介文でまず目に付くのは、今は亡き偉大なる父の名と、50戦という一線級の中央馬としては類い稀なるレース数である。父は日本競馬界空前の大種牡馬で、この馬もその素質を3歳(新表記、満年齢)のクラシック戦線で開花させるものと期待されて育ったが、平均馬体重430kg弱(他の一線級の馬は概ね470~510kg程度)という数字が示すようにいたって小柄。五十数kgの、騎手という名の「おもり」を背負って走るレース「競馬」においては明らかに不利な体格だった。さらに加えて持ち前の激しい気性が扱いを難しくしていた。3歳時は阿寒湖特別を勝ち、クラシック最後の菊花賞になんとか出走を果たすも結果は8着。既に発揮されていた長距離馬としての適性に古馬としての後半生の活躍をわずかながら期待するしかない、そうとも思われた当時の成績であった。

なお4歳になって以降、50戦めのレース「香港ヴァーズ(国際G1)」までの彼の主な戦績は、本編を参照されたい。

「また、風になりたい」

 幼い頃の彼は走るのが好きだった。彼の友達たちは人間を背負うのを重たい、煩わしいと嫌がったが、力自慢の彼は人間を苦もなく背負って走れるのを誇らしくさえ思っていた。なにより、一生懸命走ると、かけっこで一緒に走る友達を追い抜けることに快感を覚えていた。特に利き脚である右脚は彼の力自慢の源でもあり、ゆるいペースも全速のときも、彼は右脚に力をこめて強引に走った。全力疾走の練習は厳しかったが、そんな毎日が彼の心臓を他の誰よりも強く鍛え上げ、力自慢の脚をさらに丈夫にしていった。


やがて彼は若駒に成長し、大勢の人間たちを目の当たりにすることになった。かけっこがレースに変わったのである。最初は重たい砂の上、やがて軽くスピードの出る芝の上を走るようになり、レースの相手たちも徐々に強くなってきたが、その度ごとに人間たちの数も多くなり、発せられる叫び声も大きくなっていくのがわかった。はじめは驚いたが、次第にその叫び声はレースの最後に全力疾走するときに自分を励ましてくれているものだと理解できるようになり、それに応えるかのように、彼は必ず残っている全ての力をそのラストスパートに余すところなく注ぎ込んだ。全力を出し切る能力、すなわち根性こそが彼の才能なのだと周囲の人間たちは間もなく気付き、彼に厳しい試練を次々と与えていった。彼はそれを根性だけでこなし、レースに勝ち続けていった。


レースという見えない階段を上っていくに従って、やがて彼がレースで一着になれないときがでてきた。それまで一生懸命走れば必ず勝てたというのに・・・けして彼が弱くなったのではない。強いライバルたちが出現し、なかなか抜かせてくれなかったり、時には横からすっと出し抜けを食わせたりと、彼の勝利を頑強に拒むのだ。そんなライバルたちは決まって気持ちよさそうに走ること。自分も勝てばそういう気持ちに浸れるのだと信じ、背負う人間の厳しい叱咤にも耐えて彼はただひたすら走った。長い距離、短い距離、時には数日おいてすぐに強い相手と連戦しなければいけないときもあったが、それでも彼は我慢し全力を出した。こうして彼の青春の日々は、厳しいレースに耐えることで過ぎていった。


レースをはじめてから4度目の夏が近くなったある日、彼はライバルたちがなぜ気持ちよさそうに走るのか、ようやくその秘密を知ることができた。今日は背負っている人間がいつもと違う、かつて負かされたライバルに跨っていた「その人」ではないか?首をやわらかく撫でられる感触、トントンと弾むような体への合図、走りやすい重心の位置とその移動・・・彼は「その人」をすぐに好きになり、それまで我慢をしていたスタイルを忘れるかのように、力を抜いて楽に走った。それは本番のレースでも同じで、トップスピードのときは、自分の肉体を忘れ、魂だけが前に進んでいくのがわかった。終わってみれば、いつもよりさらにライバル達に差をつけて勝っていた。


彼は風になった。


次のレースでは、「その人」は背中に乗ってくれなかった。叱咤に耐えて力んで走ってみたものの、気持ちよくない。さらに次のレースでは、全力疾走のときについに右前脚に力が入らなくなり、6着と敗れた。彼ももはや若駒ではない、力任せが利かなくなってきたのだ。次のレースでもそれは同じで、結果は11着とさらにひどく、彼はもうレースに勝てないのではないかと思い始めていた。


そんなとき「その人」は、彼を助けに来たかのように、不意に彼のもとに還ってきた。季節はもう冬を迎えようとしている。「その人」と一緒にはじめられた毎朝の練習では、しきりに左肩や左前脚をポンと叩かれる。いつもとは逆に左前脚を前に出して走るよう、「その人」が指示しているのだと彼は理解した。最初はしかたなくやってみたが、利き脚でないため走りがいかにもぎこちない。来る日も来る日も左前脚で走る練習。次の段階では右前脚で走った後に途中で左前脚に変える練習。「その人」が親身に接してくれるため、彼も素直にそれに応えられた。そして、うまくできたときに「その人」が誉めて首を撫でてくれるのが、彼は何よりうれしかったのだ。練習は最初ゆっくりだったものから徐々に強くなっていき、幸せな日々はあっという間に過ぎていった。


ついに「その人」を乗せてレースをする日がやってきた。周りはいつもの手強いライバルたち。人間達の叫び声の大きさも、そのレースが非常に厳しいものであることを教えてくれていたが、彼は気持ちよく練習できたこの一ヶ月のことを思い出し、なぜか今日は勝てそうな気がしていた。

いつもどおり、ゲートに入る。目の前がひらけ、最初はゆっくり流す。冬枯れた芝の荒れた重い馬場は、たとえペースがゆっくりでもけして楽なものではなかったが、まだ衰えぬ彼の強い心臓は彼に充分な余力を残しておいてくれていた。「その人」が馬込みの外に出してくれていたので、右側だけを注意して走っていればよく余計な気苦労がない。そして冷たい風が気持ちいい・・・

右に曲がり始めるところで手綱が引かれた。わかったよと彼は右脚に力を込める。ぐいぐい加速し、先頭に並びかけるころにはトップスピードになった。風になってる!あのときと同じだ!そう思い返したとき、右回りが終り、目の前の直線コースに大きな坂が聳え立った。そしてまた右脚が痺れてくる。

その時だった。一瞬手綱が緩んで力が抜けたところで、左肩を「その人」がポンポン、と軽く叩く。そうか、ここで左脚を使うんだね!今度は逆の左前脚に力を込めて、坂の頂上へ向かう。さらに左側から気合を入れてもらい、彼はそのまま2度目の全力疾走に入った。

やっぱりぎこちない。右脚にはもう力が入らない。風になれたのもほんのひと時だけだったけど、この左脚でまだまだいける、息が続くまで・・・。人間達の叫び声が渦巻くスタンド前の直線コースを、連続スパートの息苦しさを抱えながらも、彼はついに先頭のまま駆け抜け切ったのだった。

【お疲れ様】と「その人」が掛けてくれた声も、「オグリ!オグリ!」の大合唱も、言葉がわからない彼には、おめでとう、よくやったとしか聞こえなかった。ただ、「その人」が背中でいつもと違う格好をしたので、折り返しは落ちないようにやさしく走ってあげた。

人間達が「奇跡のラストラン」と騒ぎ立てたことは、もちろん彼は知る由もなかった。時に、平成二年12月23日のことである。


「また風になりたい」彼はそう思い返しつつ、故郷の北海道に帰ってからも、しばらく「その人」を待ちつづけた。

先崎八段の指導対局

文章を書けない日々が続いていました。

楽しみにしてくださっている方には申し訳ないです。


実は、将棋も指せないでいました。

取り戻そうとして、こんなはずじゃないと思って、24のレーティングを随分落としました。

しかし昨日、復調の兆しがようやくつかめたのです。


先崎八段との飛車香落ち戦。

定跡をはずれてから、工夫した組み立て。

52手目(▲1ニと)で1手パスという大失敗を犯してから、崩れずに踏みとどまることができました。

56手目(▲6六銀)は根性の一着。

折角作ったと金にこだわらない、▲7五桂馬を狙った70手目の▲8六香車。夢が実現するのは遥か32手先です。

折角手にした飛車でさえ、その夢を目指して92手目にあっさり切ってしまいます。

102手目に▲7五桂馬が実現して、勝ちになりました。

飛車香落ちは、もう卒業にしようと思っています。


をいらのパワーの素は、やっぱり将棋やなあ。

文章のほうも、また書いていけそうな気がしています。




対局日:2005/08/09(Tue)

表題:渋谷東急将棋祭り

棋戦:指導対局

手合割:飛香落ち

上手:先崎学八段

下手:月下の調べ♪


△3四歩 ▲7六歩 △4四歩 ▲1六歩 △4二銀 ▲1五歩

△4三銀 ▲1八飛 △6二玉 ▲1四歩 △同 歩 ▲同 飛

△1三歩 ▲1八飛 △7二玉 ▲6八金 △6二銀 ▲3八銀

△5四歩 ▲2六歩 △3二金 ▲1七桂 △2四歩 ▲2五歩

△同 歩 ▲1二歩 △2三金 ▲2八飛 △1四歩 ▲4六歩

△3三桂 ▲4五歩 △同 歩 ▲1一歩成 △3一角 ▲2五桂

△同 桂 ▲4四歩 △5二銀 ▲2五飛 △2四歩 ▲4五飛

△3三金 ▲1四香 △6四角 ▲1三香成 △5五歩 ▲2三成香

△同 金 ▲4三歩成 △5一銀 ▲1二と △4二歩 ▲5二と

△同 銀 ▲6六銀 △4三歩 ▲5五銀 △4四香 ▲同 銀

△同 歩 ▲同 飛 △5五歩 ▲4三歩 △3三金 ▲6四飛

△同 歩 ▲4二歩成 △5三銀 ▲8六香 △4二銀 ▲4五角

△7一玉 ▲5五角 △4三金 ▲6四角 △7二銀 ▲4四歩

△5三金 ▲同 角成 △同 銀 ▲4三歩成 △6四銀 ▲6三金

△5五飛 ▲5二と △同 飛 ▲同 金 △同 金 ▲3二飛

△5一歩 ▲5二飛成 △同 歩 ▲6三金 △同 銀 ▲同 角成

△7二金 ▲6四馬 △6三歩 ▲5四馬 △2六桂 ▲7五桂

△3八桂成 ▲同 金 △7四銀 ▲6四桂 △同 歩 ▲6三銀

△同 銀 ▲同 桂成 △同 金 ▲同 馬 △6二金 ▲8三香成


まで114手で下手(月下の調べ♪)の勝ち


色つきの手はコメントで触れているものです。

赤は悪手でしたが、その後踏みとどまることができました。

「社団戦レポート」 (7)

7/24(日) 曇

「やっべ~え」

無意識の中で携帯のアラームを止めてしまったことの重大さに夢の束縛から逃れた理性が気がついたときには、15分わざと進めてあるアナログの針が8:20を過ぎようとしていた。6:00まで眠れなかったとき、そのまま会場に行ってから仮眠すればよかったと後悔しつつ支度を進め、駅に着いたのは8:30。会場まではまだこれから1時間以上かかる。江戸川さんの留守電に到着予定を吹き込んで、調度やってきた快速に乗り込み、再度の仮眠モードに入った。

いつもなら試合開始の10:00に間に合えばよいのだが、今日は我らが「友遊クラブ」チームが会場準備と後片付けの当番になっていて、9:15に集合だったのだが大きく遅刻してしまうことになった。持ち回りでやることになっているこのシステムは、将棋の世界の住人たちの「自治」のシステムとも言える。これをやることで少しでも安く、そして身近に将棋に取り組むことができるのだ。

今日だけは、絶対に遅刻してはいけない。その気構えを裏切ってしまった情けなさを抱えたまま、浜松町を小走りに歩いた。道中の見覚えのある、待ち合わせの選手たちと思われる多数の顔を振り切るように通り過ごした。

会場に到着すると、もう会場の準備はすっかり終わって、見渡すとすぐチームのメンバーが見つかった。ごめんなさい、と開口一番いうつもりだったが、それが果たされたかどうかわからないまま、をいらの意識がみんなの笑顔と視線の先に吸い込まれる。

タカシゲくんが練習将棋をしていて、相手は、あっ!ゆーだいくん!本当に来てくれたんだっ! 

ゆーだいくんは北海道の中学三年生で、地元では大学生を交えた学生大会での優勝経験もあるほどの、超中学生級の強豪だ。どちらかというと将棋に対してほんわかムードの友遊クラブにとってはもったいないくらいの貴重な存在で、大きな将来性という楽しみを秘めた宝でもある。この大会には前日の飛行機の旅と宿泊という、一般には中学生には任せきれない旅程を独りで経て、はるばるやって来てくれたのだ。

「今日の大将は決まりだね!」

がぜん、成績のほうも期待が高まってくる。

と、もう一人見慣れない顔があった。ももた(大阪 30代)さん!なんと北海道までの長い長い列車独り旅の途中なのだという。ようこそいらっしゃい!と話してみると、チャットで話しているときよりも一段と独特の大阪ノリ♪で、ナチュラルなボケと軽いツッコミが会話に混じる。

そうこうしていると、もう試合開始の時間、6番のピブス(大会のユニフォームのようなもの)を着ようとすると、7番を着ていたももたさんと入れ替わるようふちゅうさんから指示があった。

お知らせ

こんばんは、月下の調べ♪です。

体調不良等により、しばらくブログをお休みしておりましたが、徐々に復帰し更新を再開いたします。


7/24(日)は社団戦第二回大会に出場して参りましたので、社団戦レポートから発表していきます。

今後とも、当ブログをよろしくお願いします。


第三期 友遊名人戦 第二局観戦記

どうも、月下の調べ♪です。毎度のご訪問ありがとうございます。

この連休は、部屋の大掃除に始まり、模様替えに走り、ホームセンターから本棚やらラックやらを組み立てては収納するという、一言で言えば引越し以来の年貢を納める作業にハマっております。

よって、原稿の執筆に時間があまり割けない状態ですが、過去に書きました将棋の観戦記へのリンクを載せますので、こちらをお楽しみください。

第三期 友遊名人戦 第二局 

平成17年2月2日  於 将棋倶楽部24大阪道場特別対局室

(観戦記原稿:月下の調べ 編集:みぽりん)

また、関連するメッセージを下に記します。

府中会長、当ブログにての公開をご了解ください。

友遊アイドルのみなみちゃん、入院中とのことですが、よくなってまた一緒に将棋を楽しめる日をお待ちしています。

友遊クラブの若手エースに育ちつつあるゆーだいクン、次回の社団戦の際に上京されるかもしれないと伺っておりますが、そのときはよろしくお願いいたします。もちろんネタにさせていただきますので(笑)

次回の第四期名人戦は、dokinchan名人とyomoda四段との間で、7月末頃第一局が実施される予定です。(友遊クラブHP に発表されます)


「夏祭り」 (2)

数日前から買い物やらの下準備に駆け回り、一応当日にピッタリとはいえこの蒸し暑いさなかに運び物をしたり、簡単とはいえ独り身の僕にとっては苦手なお店の内装拵えは、まさにボランティアである。夏の終りのこのお祭りに、わざわざ売り上げも見込めない将棋の出店を決めたのは、将棋をとおしての出会いが楽しみだったからに他ならない。できれば、有段者の僕とも互角に指せるような相手が現れれば、実に楽しいひとときが過ごせるような気がしていて、実際期待もしていた。


その、ちょっかいを出してきた隣のお店のおじさんは、声の張りはしっかりしていたものの白髪交じりの頭で、少なくとも40代の後半はいっていそうな年頃だ。この年代の男性で、将棋を全く知らないということは、まずない。

「将棋、お好きですか。どのくらい指されます?」

笑顔と言葉の衝突実験。相手の反応を目で見て、熟練度を下心で測る。

「ヘボ将棋ですわ。独身の頃は同僚とやってましてなあ。」

本格的に将棋をやっていた形跡は、残念ながら返ってきた言葉の破片から発見されない。将棋好き仲間の匂いをかぎつけてきたわけではなく、なるほど、昔が懐かしいというわけなんだろう。念のため、力試しの詰め将棋問題を2つ並べてみる。どちらも古典で有名なものだ。






「左の問題は五手詰め、右の問題は手数は長いですけど簡単ですよ」

それを後ろで見ていたケンジさんは左の問題を知っていて、初めて見る右の問題を取り組んでみる。駒を動かしながらで、右の問題の解答はバレてしまったが、白髪交じりのおじさんは左の問題でうんうん悩み始めた。少しトリッキーなこの問題、おじさんの実力の程も知れてしまったが、詰将棋のパズルのような楽しさを味わってもらっているようで、本当に詰むんですかこれ?なんて聞かれると嬉しくなってしまって、うふふとわざといたずらっぽく笑い声だけを返した。


通りの人の往来の流量が増していく中で、出店のそれぞれがもう開始を待ちきれないといった感じで、「いらっしゃいませーぇ」と声の掛け合い合戦をはじめる。隣のお店のおじさんも白髪頭の後ろのほうを掻きながら、問題を解けないまま持ち場のほうに戻っていった。まもなく、店先からは直接見ることのできないメイン会場広場のほうから、司会者のアナウンス聞こえてくる。続いてのステージショウのプログラムが始まったようだった。


「いらっしゃいませーぇ、将棋無料ですよ~ぉ」

僕も負けずに通りに向かって、視線を配りながら声を張り上げた。棋書の販売はそっちのけで、「将棋を気軽に指してみませんか」が真意の叫びかけである。通りの人の何割かが視線を分けてくれることに手ごたえを感じるなか、最初のお客さんが早速お店の正面にやってきてくれた。渋色の帽子をかぶった、初老の御仁である。